2013年7月30日火曜日

木目

ギターの木目は美しい。木目の美しさはギターに限らないが、ギターを弾いている故、ギターびいきである。棒アイスを食べ、骨となったアイスの棒を眺めると、木目に気を取られる。アイスを支えているだけの棒にこんなに美しい木目が。世界はそういうもので溢れている。

こんな時間に柿が落ちてくるなんて。庇は不意をつかれはっきりした音を立てる。柿はもう落ちる覚悟であった。万物は無限に運動し、そして静止している。時が流れているというのに静止という概念は成り立つのだろうか。こんな気持ちは刹那的で客観的にみれば興ざめものである、と庇はぼやく。

高円寺北中音楽祭のこと6

全ては導かれる。ありそうもないタイミングでありそうもない人と出会う。それは信念をもって立ち向かっている見返りかもしれない。役者は揃いつつある。しかし全く油断はできない。

2013年7月26日金曜日

高円寺北中音楽祭のこと5

一つの土地のことを考え続けることなどなかなかない。北中通り商栄会と音楽の交わりを考える内に僕の中で北中通りは隔離された神聖な場所になり踏み込むと特別な気分になる。

2013年7月19日金曜日

高円寺北中音楽祭のこと4

「馬橋盆踊り」のポスターはいかにも盆踊りだ。縁起でもないことを言うが、商店街に関する人たちが死者の様相で楽しそうに踊っているではないか。これは盆踊りのポスターだ。死者を供養する踊り、それが盆踊りらしい。かつて死はもっと身近なものだった。生まれるということに死は含まれている。盆に踊って死者と別れ自分が生きていることを確認すれば良いと思う。

2013年7月5日金曜日

父は週末になるとギターを弾いた。クラシックギターだ。バッハとタレガ(父はタルレガと発音した)をよく弾いていた。家には楽譜が山ほどあるが、いつも同じ曲を弾いていた。そして僕はギターを弾いている。クラシックギターを。バッハとタレガを。

2013年7月4日木曜日

高円寺北中音楽祭のこと3

音楽を担当することになった時、初めに、今は暗渠になっている北中通り商栄会の入り口に架かっていた馬橋(まばし)という橋の話になった。地名自体も馬橋だったらしい。馬橋という響きが印象に残っていて、テーマのメロディのヒントになった。
先日、コクテイルで買った本に橋にまつわる小さな章があった。「本来、橋はたんなる交通の建造物であることより、天上と地上とをむすぶ神の通路である。天の橋立のように。また水をへだてた異界へ霊魂が渡ってゆくものであった。」
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