話すことで確認し、新たな答えを見つける。或る答えはまた問題になり、僕は退屈しない。今日を考える日にしよう。明日も考える日かもしれない。そこにある隙間は考える余白、余白は視覚的なものかもしれないし、観念的なものかもしれない。それも考える要素。そこにある隙間は君のための余白。考える日は始まりで、時間を経ることで考える行為は必要無くなるかもしれない、ということを考える日がある。僕は一人ではない。考えられることで君は輝いていられる。君は僕かもしれない。君が僕のこと言っているのかもしれない。考えることで君(僕)は輝いていられる。そう、僕(君)は一人ではないし、自分だけでは自分のことなんて分からない、と言うことを考える日。