2016年5月28日土曜日

完成しない表現

さやさんのうたは、どこかに向かっていて留まらない。向かっている場所も留まらないから動き続ける。僕はその旅に同乗し、新たな旅の方法を知る。

「完成しない表現」について。昨年末発表した「考える日」は、完成しない楽曲を記録したものだ。ライブと照らし合わせてもらえれば分かると思う。ただアレンジを変えるとか、アドリブを加えるということではなく、作曲が終わっていないのだ。そして永久に終わらない。枠の中で変化させていく方法ではないから。
乾かない絵具、当時の絵とは既に様変わりした絵画の発色。意図せず終わらない創作もある。

旅の途中で、さやさんが僕の楽曲「心」を歌ってくれた。僕は初めてこちらに向かって発せられるこの楽曲に興味を持った。数分の楽曲だったが、本当に長い会話をしたような感覚を今も自分の箱から取り出すことが出来る。しかし、それもまたいつの間にか消えていたり、全く別の姿になっているだろう。

2016年3月1日火曜日

考える日の断片

作品集「考える日」は、執着に反発せず、海に、宙に浮いたまま創作した作品だ。同じような進行がなんども出てくるし、全曲ハ長調とその関係和音によって書かれている(CとAm)。詩は、字数を無視して、出てきた言葉をほとんどそのまま使用した。八割が詩から書いた楽曲である。
結局、自分にとって自分が安心する進行、旋律、響きは限られている。それを自覚し、信じることで、初めて自分の音楽を実感するのではないだろうか。

描く

結果的に絵を描いていることになる。
観念の具体化として絵が残る。テーマから引き剥がされるが、最後には同じところに導かれる。
共感した瞬間の記憶が、絵を描かせる、しかしどこかで描いている。
僕は訓練のように同じ絵を描き続けてきた。向こうから訪ねてきてドアを叩く。それから。

2016年2月28日日曜日

或る始まり

京都で開催されたフンデルトヴァッサーの展覧会に行ったのは、もう十年前になるか、出口付近の薄暗いスペースで彼のドキュメンタリー映像が流されていた。僕は腕を組み、立ったままその映像をぼんやりと眺めていた。シーンは彼の食事に。彼は制作中の絵の上にスープかなにかの皿をどんと置き、スプーンで啜り始めた。この瞬間、僕の音楽と日常が初めて、ほんの少しだけ交わったのだった。しかし、それをはっきり意識するのは、数年を経てからだった。

2016年2月25日木曜日

考えるジャケット

ジャケットの絵が決まったとき、箔押しにしたいと先ず思った。銀色の箔押しを。いろいろ調べて行くうちに、予算、質感等の問題が立ちはだかった。方向転換しようとしたところで、たまたま足立区にある(現在は荒川区)活版印刷工房「まんまる○」さんの情報を目にした。なんとなく上手く行く気がして、直ぐにメールをしたら、早速返事があった。CDのジャケット制作は初めてですが興味はありますとのこと。日取りを決めて工房に足を運んだ。
打ち合わせでは、色々な種類の紙を紹介してもらい、直感で気に行った、獣のような黒の紙を選んだ。インクは銀。
厚紙に押された銀の絵と文字。目に入れば、すっと撫でてみる。

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