2016年10月7日金曜日
オー ブラザー関東のこと
いつの間にか一丸となって「歌」に向かっていたように思える。初めから歌の要素は強かったが、終盤はより強く歌が存在していた。慣れないカバーの縛りがあったせいか、心を揺らしながら歌に向き合った事が要因かもしれない。
きっかけでもない限り歌うことがない歌を歌うことは貴重な体験だった。これからは意識的にでもいいから少し離れた歌にも足を伸ばそうと思う。
初めてステージで踊る。踊ろうとしたのではなく踊っていたのだ。踊りとは本来そういうものなのかもしれない。知らないことが多過ぎて、楽しい。そして物真似もする。
最終地点のインド富士からタージマハル旅行団を連想した。後付けだが、まとまりのいい最後だった。閉店用の「終」の看板がはっきりとツアーを締めてくれた。
2016年8月22日月曜日
オー ブラザーのこと
知っている歌を、実際本人が歌っているのを観ると、また違った印象、感動がある。そう考えると、録音はまた違った要素を与えてくれるから、別の面白さがあって楽しい。
共演の二人の曲は、数曲事前に聴いていたが、まるで違う感触があった。その瞬間の表現を持っているからだろうか、とりわけ言葉の聴こえ方がまるで違う(単純に歌詞を間違えている可能性もある)。いつの間にか心が泣いていたり、その歌のせいで考えが巡って、結果演奏をほとんど聴けていなかったり。その演奏はそこにしかなく、二度と会うことはない。それがライブだ。
全日程、最後に全員で歌った。このツアーは歌がテーマになるだろうと勝手に思っていたので、嬉しかった。一節ずつ歌い分けることで、ひとつの歌が数人の人生を語る様で、落ち着かない。音楽に完成などないのだ。
何気ない会話が面白い。思いもよらない言葉がすっと返ってきて、僕の心に潜り込む。これはツアーメンバーに限らず、各地で接触した人たちも含む。
山口百恵を数曲演奏した。新幹線で移動することにしたとき、「いい日旅立ち」を演奏したいと思ったのだ。実際演奏してみると他の曲のカバーも試したくなり、連日百恵ちゃんの曲を歌った。最終日は、共演者の面々も百恵ちゃんの歌を歌った(アレンジが秀逸)。
そして、ツアーはまだ続く。
O Brother, Where Art Thou?
2016年6月29日水曜日
即興
6月は色々な即興を体験した。
即興は、普段から常にひとつひとつの事柄に注意して閃きを鍛えておかなければ出来ない。音楽としての即興と分けて考えていては、訓練が足りず、自分の中にあるフレーズをただひっぱり出してきた即興風の即興になってしまうだろう。
音を意識しないで出てきた音、イメージによって自然に動いた指が鳴らした音、鳴っていない音。
ある国をイメージして憶測で作ったカレー、その付け合わせ。
2016年5月28日土曜日
完成しない表現
さやさんのうたは、どこかに向かっていて留まらない。向かっている場所も留まらないから動き続ける。僕はその旅に同乗し、新たな旅の方法を知る。
「完成しない表現」について。昨年末発表した「考える日」は、完成しない楽曲を記録したものだ。ライブと照らし合わせてもらえれば分かると思う。ただアレンジを変えるとか、アドリブを加えるということではなく、作曲が終わっていないのだ。そして永久に終わらない。枠の中で変化させていく方法ではないから。
乾かない絵具、当時の絵とは既に様変わりした絵画の発色。意図せず終わらない創作もある。
旅の途中で、さやさんが僕の楽曲「心」を歌ってくれた。僕は初めてこちらに向かって発せられるこの楽曲に興味を持った。数分の楽曲だったが、本当に長い会話をしたような感覚を今も自分の箱から取り出すことが出来る。しかし、それもまたいつの間にか消えていたり、全く別の姿になっているだろう。
2016年3月1日火曜日
考える日の断片
作品集「考える日」は、執着に反発せず、海に、宙に浮いたまま創作した作品だ。同じような進行がなんども出てくるし、全曲ハ長調とその関係和音によって書かれている(CとAm)。詩は、字数を無視して、出てきた言葉をほとんどそのまま使用した。八割が詩から書いた楽曲である。
結局、自分にとって自分が安心する進行、旋律、響きは限られている。それを自覚し、信じることで、初めて自分の音楽を実感するのではないだろうか。
描く
結果的に絵を描いていることになる。
観念の具体化として絵が残る。テーマから引き剥がされるが、最後には同じところに導かれる。
共感した瞬間の記憶が、絵を描かせる、しかしどこかで描いている。
僕は訓練のように同じ絵を描き続けてきた。向こうから訪ねてきてドアを叩く。それから。
2016年2月28日日曜日
或る始まり
京都で開催されたフンデルトヴァッサーの展覧会に行ったのは、もう十年前になるか、出口付近の薄暗いスペースで彼のドキュメンタリー映像が流されていた。僕は腕を組み、立ったままその映像をぼんやりと眺めていた。シーンは彼の食事に。彼は制作中の絵の上にスープかなにかの皿をどんと置き、スプーンで啜り始めた。この瞬間、僕の音楽と日常が初めて、ほんの少しだけ交わったのだった。しかし、それをはっきり意識するのは、数年を経てからだった。
2016年2月25日木曜日
考えるジャケット
ジャケットの絵が決まったとき、箔押しにしたいと先ず思った。銀色の箔押しを。いろいろ調べて行くうちに、予算、質感等の問題が立ちはだかった。方向転換しようとしたところで、たまたま足立区にある(現在は荒川区)活版印刷工房「まんまる○」さんの情報を目にした。なんとなく上手く行く気がして、直ぐにメールをしたら、早速返事があった。CDのジャケット制作は初めてですが興味はありますとのこと。日取りを決めて工房に足を運んだ。
打ち合わせでは、色々な種類の紙を紹介してもらい、直感で気に行った、獣のような黒の紙を選んだ。インクは銀。
厚紙に押された銀の絵と文字。目に入れば、すっと撫でてみる。
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