2017年9月28日木曜日

Clear Soup

作品は、触れる人によって姿を変える。なにが描かれているかは、その作品に向き合った人が決めれば良い。そして決まらなくても良い。そこに至るまでどれだけ遊べるかが大事だ。作者が描いたものと違うものが存在しているかもしれない。それはこの先も未だ変わるかもしれないし、元の場所に帰ってくるかもしれない。
ピカソの話で、画商が、描かれたものを当てたがるのにうんざりした、というのがあった。実際描かれているものより、そこから発せられるものを個々が自由に受け取れば良いのではないだろうか。

河合真里さんの個展「Clear Soup」で、作品に寄せた即興演奏をした。演奏場所に近いところに掛けられていた、夜明けの空気を通して見る未だ夜の空の色をした部屋に置かれたボウルに、さらさらの液体が張られた絵の底の方の気配から音を出し始めると、その絵の隣に掛けられていた三点の静物のひとつの、中心がくびれた野菜のような鉄アレイが、その重さを無視してボウルの底からゆっくりと水面に向かって浮き上がってくる。水面に触れようとするところで何故か心が引き戻される。約二時間の演奏はほとんどその繰り返しだったように思える。

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