2019年7月19日金曜日

noteに移行しました

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こちらはそのうちに消滅します。

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2019年6月15日土曜日

録音など

録音が自分の中で始まっている。先ずは作品「考える日」以降に書いた曲、再構築した過去の作品、一時期定期的に書いていたギターの独奏曲。同時にざやえんどうのアレンジを、更に友人の灯台のための音楽の作曲、それから録音。
目の前にそれぞれ部屋を用意するのではなく、大きな空間でそれぞれの音楽に向き合っていくのだ。それぞれが共鳴すれば面白い。共鳴しなくてもいいけど。

2019年4月18日木曜日

旋律が先に出来てしまった場合、詞が先に書けた時とは違った苦労がある。
最近の詞の創作は、大抵は体験したことを基にしているので、旋律による縛りがあると言葉が極端に限定される。加えて旋律の音数とイントネーションに引きずられるので、無意識に音数に偏った言葉選びになって行く。言葉が綺麗に乗ったところで物語が薄いと、その楽曲の底は目を凝らせば認識できる程度の深さにしかならない。しかし、旋律が先に現れた以上、言葉とじっくり向き合って、強引なこじつけによる自己解決を避けねばならない。

2019年2月19日火曜日

冬周辺

今年に入ってからアンサンブルのアレンジを立て続けにやった。創作をするきっかけがあるのは楽で良い。発表の予定がない作品を書くのも楽しいが、着地点がはっきりしないので手を入れ過ぎて不自然になりがちだ。
去年末から今年にかけて、演奏や編曲、マスタリングで参加した作品たちが立て続けに発表された。それぞれ特徴のある作品で、参加出来たことが嬉しい。先程アイスランドの友人に、それらに僕の作品「考える日」を加えて送った。氷の国でどう響くか。

2018年9月21日金曜日

タンゴ

タンゴと聞くと、なんとなくその音楽のイメージが浮かぶ人もいるだろう。その演奏されたタンゴと元の楽譜とのギャップは、ここから地球の裏側くらいの距離があると言っても過言ではない。タンゴの楽譜は、時代にもよるが、べったりとした地味な2/4拍子の楽譜が多く、それをそのまま演奏しただけでは情熱さのかけらもない単なる素朴な民謡のようなのだ。なので、あの雰囲気は演奏者によって作られる。楽団を統率するリーダの色は濃く、そのキャラクターを聞き分けることがタンゴを楽しむことに繋がる。どんなタイプの音楽でもそれは言えるのだが。

2018年8月23日木曜日

未発表

作曲したまま発表せずにほったらかしになっている作品がたくさんある。理由は、ただ機会に恵まれなかったからに過ぎない。アレンジをし直して自ら発表、もしくは誰かに演奏してもらおうと考えても、なかなか元々のイメージを保ちつつ再構築するのは難しい。そして、発表したいというよりは、ただすっきりしたいだけなのである。
独学で作曲し始めた頃に、フーガや12音技法、無調、ソナタ、弦楽四重奏、などなど、色々と試した楽曲がほぼ未発表状態にある。演奏してくれる方、待っています。

2018年8月22日水曜日

悪夢

悪夢には色々なタイプがある。ホラーなもの、嫌いなもの(僕の場合は蜘蛛と毒キノコ)に関わる、などなど。
僕が最もよく観る悪夢は、シーンはライブステージ、今まさに始まるという場面で色々なトラブルに見舞われる。ギターのシールドを差そうとするが届かない、メンバーが現われない、エレキギターのストラップがない、靴がない。何かしなくてはと、マイクで客をあおるが、一向に演奏を始められなくて焦る。これの調理場バージョン(お湯が沸かない)やサッカーバージョン(ボールを蹴ってもほとんど飛ばない)なんかもある。悪夢の中でも、このタイプが一番後味が悪いのだ。
厄払いにと思って歌にした。その名も「悪夢」。

2018年8月17日金曜日

引っ越してもうすぐふた月が経つ。ここに来てからまだ作曲らしいことはしていない(アレンジはいくつかした)。作業場は出来ているのだが、二階なので、夏の、とりわけ厳しい今年の暑さにたじろいでしまった。ならば一階でやればいいじゃないかというのはもっともである。しかし、場が大事なのだ。武満徹は、海外では作曲が出来ないと書いていた。海外、というより自分の作業場以外では作曲しなかったのではないだろうか。
今日は急に秋の陽気だ。まばたきしたら秋だったという感覚。

2018年2月8日木曜日

作りものの表現

一昔前は、一作品に関わるだけで異常なまでに神経質になり、他の事はいい加減になっても仕方がないと決めつけていた。音楽という存在を神格化し、それに関わることで、自分もその空気を吸い込んで気持ちよくなっていたのだろう。表現が日常と切り離されていたのだ。正に、作りものの表現。

結露

「結露」をテーマにした小品を書いている。オーボエとギターの曲だ。結露を念頭に旋律を紡いでいく。油断すると、音程と音価にとらわれ、本来の背景との結びつきが薄くなる。そして、また書き直す。この連続の中で新たな映像が頭をかすめ、それを追っていくと景色が鮮明になって行く。どうにも行き場がなくなったら、結露を起こせばいい。

2018年1月19日金曜日

冬の創作

曲が溜まってきた。録音しよう。前回と同様に、歌とクラシックギターのみで録るつもりだ。アレンジをしながら日々演奏をしている。アレンジを重ねても、結局初めの状態に戻ることが多いが、この過程なくして納得の行く作品は残せない。そしてまた変化して行く。
同時に別の創作にも手を付ける。片方が蔑ろになるようなことはなく、どちらにも刺激があって効果的だ。
冬の作品が増えた。冬の内に冬を焼き付けたい。

2017年11月7日火曜日

Fender Musicmaster '76

およそ20年前、季節は秋から冬、ちょうど今くらいの季節だったと思う。お茶の水にあるカザルスホールのエントランスで、楽器のセールが催されていた。当時、僕はペイヴメントやべック、K Recordsのバンドが好きだったので、そんな彼らが愛用していたFenderのギター、特にMustangやJazzmasterのような、少し歪なギターが欲しかった。しかし、それらは高価で、予算を上回るものばかりだった。その内に本体より値札ばかりを眼で追うようになり、少しすると、手ごろな、しかもUSA製のヴィンテージギターの値札に辿り着く。'76年製、ボディーはMustangと同じ形、色は黄ばんだホワイト、そしてピックアップがフロントのみでアームなし、名はMusicmaster。人と違うもの所有することが個性だと勘違いしていた初心な青年は、即座にそれを購入するのだった(値段が強く背を押した)。

数日前、我が愛器は、ピックアップを換え、乾燥しきっていた指板にオイルを塗り込み、全体を綺麗に磨かれたことで、眠りから覚める。数年悩まされた雑音は、ピックアップが原因と分かっていたが、換えられずにいた。音色が変わってしまうことを危惧したためだ。しかし、そもそも本来の音とはなんなんだろうか。そんなことより気持ちよく弾けた方が楽器としては幸せなのではないか。そんなことを考えているうちに僕は、半ば無意識にネットでピックアップを物色していたのであった。

2017年9月28日木曜日

Clear Soup

作品は、触れる人によって姿を変える。なにが描かれているかは、その作品に向き合った人が決めれば良い。そして決まらなくても良い。そこに至るまでどれだけ遊べるかが大事だ。作者が描いたものと違うものが存在しているかもしれない。それはこの先も未だ変わるかもしれないし、元の場所に帰ってくるかもしれない。
ピカソの話で、画商が、描かれたものを当てたがるのにうんざりした、というのがあった。実際描かれているものより、そこから発せられるものを個々が自由に受け取れば良いのではないだろうか。

河合真里さんの個展「Clear Soup」で、作品に寄せた即興演奏をした。演奏場所に近いところに掛けられていた、夜明けの空気を通して見る未だ夜の空の色をした部屋に置かれたボウルに、さらさらの液体が張られた絵の底の方の気配から音を出し始めると、その絵の隣に掛けられていた三点の静物のひとつの、中心がくびれた野菜のような鉄アレイが、その重さを無視してボウルの底からゆっくりと水面に向かって浮き上がってくる。水面に触れようとするところで何故か心が引き戻される。約二時間の演奏はほとんどその繰り返しだったように思える。

傾向

たまに過去の作品を聴き直す。面白いことに、一番最近の「考える日」が最も荒く、緊張感がある。他の作品にはどこか慣れのような雰囲気を感じる。「考える日」が、出来るか分からないことにあえて挑戦したのに対し、他の作品は、出来ることの中で最善を尽くすやり方だったからだろうか。

2017年9月22日金曜日

待つ

録音しようと思っている作品群がある。「わたしの死」という名にするつもりだ。しかし、気がそっぽ向いている。前作「考える日」の時のような、気持ちが走っているような感覚がない。録音し始めたら動き始めるのかもしれないが、どうにも腰が重いのだ。自然と録音を始めるときを待つ。

再構築

録音物として発表の機会がなく、ほったらかしになっている楽曲を引っ張り出してみる。古いものは15年くらい前の作品だ。毎回そのまま元の場所に戻すことになるのは、ただ懐かしく当時の方法で演奏するからだろう。今回は、楽曲の要素を分解、分析し、組み直してみることにした。
いくつかの和音群に旋律を乗せ、最後に歌詞を乗せる方法を使って作曲していた頃の作品なので、旋律の動きと歌詞の結びつきが緩い。旋律を一度楽譜に起こし、歌詞との関係を確認する。旋律が持つリズムの形を抜き出し、シンコペーションの位置を探る。和音の組み合わせを旋律から導き出す。不自然にならぬよう気を付けながら。

2017年8月1日火曜日

音を見る 2/2

第1回で受けた授業を土台にメロディーを作って来てもらい、それを講師が楽譜に起こし、視覚化。実際自分が書いたメロディーがどういうものなのか知ってもらいます。(募集締め切っています。)

2017年7月20日木曜日

音を見る 1/2

全く作曲に触れたことがない人でも、適当なメロディーを口ずさんだことはあるのでは?それは立派な作曲です。
シンプルなメロディーを題材にして、色々な角度から分析し、作曲のしくみを紐解いていきます。そこから見出した方法を使い、実際にメロディーを考え、楽譜に起こして視覚化、最後に演奏します。

第1回は、作曲のしくみを知って、メロディーを作る準備をします。

斉藤友秋作曲WS「音を見る」(全2回)
小台ブリュッケにて
第1回 7/21(金)
第2回 8/4(金)
19時半から1時間半程度
参加費 3000円(2回分・別途ご注文下さい)

2017年1月27日金曜日

コーヒー散歩の帰り

ひとつの産地に特化して国から国へと8カ国散歩したところで終わり。後半は散歩の趣旨が少しずつ横にそれて、それはそれで楽しい道のりだったが、帰ろう。
ブリュッケ店主杉浦さんの視点は広い。次から次と興味があることに飛び込んで行く。かといって浅瀬を漂っているわけではなく(そこまでの場合も多々ありそうだが)深く潜って興味を満たし、新たな興味を水揚げする。
彼の興味、欲求がコーヒーを丸裸にし、その奥に隠されていたコーヒーの本来の姿が表出される。それは必ずしも美しい感動ではなく、故に美しい感動が存在するのだろう。たしかに、関わった人たちは味わうという「行為」をしていた。

2016年10月7日金曜日

オー ブラザー関東のこと

いつの間にか一丸となって「歌」に向かっていたように思える。初めから歌の要素は強かったが、終盤はより強く歌が存在していた。慣れないカバーの縛りがあったせいか、心を揺らしながら歌に向き合った事が要因かもしれない。
きっかけでもない限り歌うことがない歌を歌うことは貴重な体験だった。これからは意識的にでもいいから少し離れた歌にも足を伸ばそうと思う。
初めてステージで踊る。踊ろうとしたのではなく踊っていたのだ。踊りとは本来そういうものなのかもしれない。知らないことが多過ぎて、楽しい。そして物真似もする。
最終地点のインド富士からタージマハル旅行団を連想した。後付けだが、まとまりのいい最後だった。閉店用の「終」の看板がはっきりとツアーを締めてくれた。
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