およそ20年前、季節は秋から冬、ちょうど今くらいの季節だったと思う。お茶の水にあるカザルスホールのエントランスで、楽器のセールが催されていた。当時、僕はペイヴメントやべック、K Recordsのバンドが好きだったので、そんな彼らが愛用していたFenderのギター、特にMustangやJazzmasterのような、少し歪なギターが欲しかった。しかし、それらは高価で、予算を上回るものばかりだった。その内に本体より値札ばかりを眼で追うようになり、少しすると、手ごろな、しかもUSA製のヴィンテージギターの値札に辿り着く。'76年製、ボディーはMustangと同じ形、色は黄ばんだホワイト、そしてピックアップがフロントのみでアームなし、名はMusicmaster。人と違うもの所有することが個性だと勘違いしていた初心な青年は、即座にそれを購入するのだった(値段が強く背を押した)。
数日前、我が愛器は、ピックアップを換え、乾燥しきっていた指板にオイルを塗り込み、全体を綺麗に磨かれたことで、眠りから覚める。数年悩まされた雑音は、ピックアップが原因と分かっていたが、換えられずにいた。音色が変わってしまうことを危惧したためだ。しかし、そもそも本来の音とはなんなんだろうか。そんなことより気持ちよく弾けた方が楽器としては幸せなのではないか。そんなことを考えているうちに僕は、半ば無意識にネットでピックアップを物色していたのであった。
2017年11月7日火曜日
2017年9月28日木曜日
Clear Soup
作品は、触れる人によって姿を変える。なにが描かれているかは、その作品に向き合った人が決めれば良い。そして決まらなくても良い。そこに至るまでどれだけ遊べるかが大事だ。作者が描いたものと違うものが存在しているかもしれない。それはこの先も未だ変わるかもしれないし、元の場所に帰ってくるかもしれない。
ピカソの話で、画商が、描かれたものを当てたがるのにうんざりした、というのがあった。実際描かれているものより、そこから発せられるものを個々が自由に受け取れば良いのではないだろうか。
2017年9月22日金曜日
再構築
録音物として発表の機会がなく、ほったらかしになっている楽曲を引っ張り出してみる。古いものは15年くらい前の作品だ。毎回そのまま元の場所に戻すことになるのは、ただ懐かしく当時の方法で演奏するからだろう。今回は、楽曲の要素を分解、分析し、組み直してみることにした。
いくつかの和音群に旋律を乗せ、最後に歌詞を乗せる方法を使って作曲していた頃の作品なので、旋律の動きと歌詞の結びつきが緩い。旋律を一度楽譜に起こし、歌詞との関係を確認する。旋律が持つリズムの形を抜き出し、シンコペーションの位置を探る。和音の組み合わせを旋律から導き出す。不自然にならぬよう気を付けながら。
いくつかの和音群に旋律を乗せ、最後に歌詞を乗せる方法を使って作曲していた頃の作品なので、旋律の動きと歌詞の結びつきが緩い。旋律を一度楽譜に起こし、歌詞との関係を確認する。旋律が持つリズムの形を抜き出し、シンコペーションの位置を探る。和音の組み合わせを旋律から導き出す。不自然にならぬよう気を付けながら。
2017年8月1日火曜日
2017年7月20日木曜日
2017年1月27日金曜日
コーヒー散歩の帰り
ひとつの産地に特化して国から国へと8カ国散歩したところで終わり。後半は散歩の趣旨が少しずつ横にそれて、それはそれで楽しい道のりだったが、帰ろう。
ブリュッケ店主杉浦さんの視点は広い。次から次と興味があることに飛び込んで行く。かといって浅瀬を漂っているわけではなく(そこまでの場合も多々ありそうだが)深く潜って興味を満たし、新たな興味を水揚げする。
彼の興味、欲求がコーヒーを丸裸にし、その奥に隠されていたコーヒーの本来の姿が表出される。それは必ずしも美しい感動ではなく、故に美しい感動が存在するのだろう。たしかに、関わった人たちは味わうという「行為」をしていた。
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