2014年12月30日火曜日

今年

今年が終わる。日々は連続しているもので、今年が終わり来年が来るという感覚は人それぞれ違うと思うが、それを感じることは悪くない。人生には節があってもいいと思う。僕にとって今年は特に事件らしい事件はなかったが、こつこつ面白いと思うことに打ち込んだ一年だった。そして、あと一日打ち込む。

友よ

酔ってライブをする。酔っていてもその人はその人だ。これは僕自身の話ではないが、耳はくすぐったい。久々に友人のライブを、過去のライブを目の当たりにして。ああ、懐かしいなんてつまらん。

2014年12月25日木曜日

hanasinohanasi

或る日を境に我が家がレコードで溢れた。十五年も前の話、或る友人と出会ったことがきっかけだった。その友人は或る日僕の職場に、京都に行くことに決めたと伝えに来た。その夜、僕も京都に行こうと思うと彼に告げた。僕が或る線を歩き切ろうとするとき、彼はそこにいて僕に道を示してくれる。そんな彼が、手に持っていたものを外側にころっと転がした。hanasinohanasi、彼の或る作品である。

2014年12月13日土曜日

雲のさき

共に作曲を学んでいる高校生が書いた曲は、「雲のさき」と命名された。中間発表目前に、半ば強引に絞り出された題名にしてはスカッとしている。一緒に考えたが、そのとき居た二階の教室の窓からは、数分おきに中央線が横切り、どうしても「○○の中央線」みたいなのしか出てこなかった。その先には雲、そして雲のさき。その日は、作曲者が作品に持っていたイメージにぴったりの、雨上り晴れ間広がる状況であった。

2014年12月5日金曜日

司会を終えて

司会は、主役を引き立たせ円滑に場を進行し、主観を主観と見せずにフラットな印象を与えつつ、常に見えない存在でいるものなのだろう。僕には出来なかった。推薦した本人はきっと分かっていたのだろう。寧ろそれを求めていたのかもしれない。カクカク色々な所にぶつかりながら何とか時間というものに助けられ時は過ぎ終わりはしたが、なんとも後味は複雑な味がする。

2014年11月28日金曜日

biobiopatata

biobiopatata、ビオビオパタタ、ビオビオとパタタ、僕の印象では。ビオビオとパタタでは響きの硬さ(柔らかさでもいい)が違う。ビオビオな人とパタタな人がいる。メンバーは線画で表現できそうなほど、シンプルな個性を持って見える。

2014年11月11日火曜日

時差

ロサンゼルスのホテルにいます。朝はニューヨークでした。3時間の時差が不思議です。まるで時間が物質かなにかで、それを飛行機で追い越して時間が後から追いついたような、そんな3時間があるのです。

2014年10月19日日曜日

高田渡

ルーツでもなんでもない。ただ、聴けば沁みる。カントリーブルースでもなんでもいいけど、好きなものは好きで、高田渡は高田渡なのだ。

2014年10月17日金曜日

六重奏

フルート、オーボエ、ソプラノサックス、アルトサックス、チューバ、チェロ(譜面の上から順)の六重奏のタンゴ(?)バンド「ビオビオパタタ」に一曲匿名で提供したのは一月半くらい前だろうか。半月ほど前に早くも発表の場を高円寺は円盤の店主に作っていただき、公開練習兼本番ライブでお披露目された。結果は完成には程遠かったが(普段彼らが演奏している楽曲とは少し性質が違うことが要因とされる)、相変わらず実際に演奏されたときの感動、快感は筆舌に尽くしがたし。ビオビオパタタ、先ずバンドの絵面が面白く、話せば人間も面白い。オリジナルの楽曲がまた良い。打ち上げに付いていった。

音楽とは

音楽とは、音ではなく人を聴くものだと思う。これは、全ての表現に通ずるものではないだろうか。前にもこんなこと書いたな。

2014年10月6日月曜日

橋を渡る

二度と会わないと思われた友人がふらっと小台にあるブリュッケでのライブに現れた。全然懐かしい感じもせず話をし、拘っていた過去がひどく滑稽で、人生とは面白いなとつくづく思えた。「どうでもいい」という曲があって、ある言葉から本来の要素を見失い曖昧に歌い続けてきたが、久しぶりに、ひょんなことで当日歌うことになったその歌は、作った当時の気持ちで歌えたような気がした。橋を渡った。

クミン

変な時間に寝てしまい、眠れそうにないのでパスタを作る。京都時代、ある友人宅で夕食をご馳走になると、よくパスタが出てきた。食べ慣れないスパイスが入っていて、聞けばクミンだと答える。インド(多分)を旅行したときに買って帰ってきたとか。台所には大量のクミンがストックされていた。そんな彼は今仕事でカルフォルニアにいる。今月末に会いに行く。それからニューヨークでライブだ。クミン風味のパスタ、ああ懐かしい。

2014年9月19日金曜日

曲をつける

人の詩に曲をつける。不思議なことに自分の詩につける曲のようにはならない。動揺するが、しばらく付き合ってみよう。新しいことには直ぐ慣れる。

ライブ後、次のライブまで

全曲新曲、課題は多いが、反省はしない。毎回同じことを繰り返すつもりはないので。次は足立区はブリュッケ。彦六で演奏した楽曲が中心になるが、本番までに少しずつアレンジを深めようと思う。更に曲が出来れば早速披露します。先日、年明け、春先のイベント(ほとんど人任せ)に向けた現場の視察に行った。隙間にバルでワインを飲んだ。これもひとつの音楽だろう。

2014年9月13日土曜日

ライブ前

明日はいよいよ全曲初披露のライブである。最終的に12曲用意できた。全曲演奏するかは、今は分からない。追い詰められる中での作曲は刺激的である。最後の数日で二曲できた、というかできていた。ここ最近ふとした瞬間に鳴っている音楽は今回生まれた曲ばかりだった。それと、この期間中唯一聴いたマリアカラス。友人から5枚借りたのだが、1枚をひたすら聴いた。映画を観た。海を越えた友人と喋った。芸術とは個人的なものだ。

2014年9月6日土曜日

勉強2

作曲を一緒に学んでいる高校生にメロディを考えてくる宿題を出したら、思っていた数倍の答えが返ってきた。一節がほぼ完成している。旋律のみだが、色々な要素が見え隠れする。既に作品とも言えるが、所々理論的に解決できない部分がある。それにゾクゾクする。何故その音を選んだかといやらしく問い詰めると、相手は案の定困る。全てを受け入れ、強引にそのまま作品にすることも可能だが、それでは歪んだ未来が生まれてしまう。先人の科学を受け入れつつ、純粋に、気まぐれなガラクタにならぬよう注意して、ひとつの作品として先ず形にし、徐々に進化していく過程を発表をしていきたい。

音楽に合った演奏

音楽に合った演奏があると思う。或る映画の音楽が作曲家の林光の作品だった。丁寧に演奏されていたが、もっと雑でヘタクソだったらさらにいいのにな、と思った。それは僕の主観に過ぎないのか。

2014年9月2日火曜日

越境できない音楽

音楽は国境を越えると言うが、そう簡単なものではない。国境を越えられない音楽もあると思う。特に、宗教と文化、民族に深く根付いたものは。単に音だけで判断してはいけない。耳だけで聴いてはいけない。

2014年8月27日水曜日

勉強

或る高校生と作曲の勉強をしている。高校生は作曲を、僕は作曲の教え方を。こちらが一方的に教えていると言うには申し訳ない状態なのである。間違ったことを伝えないように最近勉強をしている。やってみると案外楽しい。

2014年8月16日土曜日

リズム

以前記事にした、馬橋音頭の吹奏楽アレンジは、ハバネラというスペイン(追記:キューバでした)のリズムを基礎にした。馬橋音頭のメロディを譜面に落としてみると、音形が似ていたので、自然な流れで折衷アレンジとなった。結果、踊れないというお言葉をいただきつつも、土地お馴染みの音頭を吹奏楽が演奏しているというだけで案外喜んでもらえた。

ブリュッヘン

去年、ブリュッヘンのシューベルトの「未完成」を聴きに行った。はじまりの音の衝撃、音量的には幽かなのだが、はっきりと聴いた。あのまとわりつくような音の感覚は忘れられない。アンコールのシュトラウスのワルツとバッハのコラールも忘れがたい。人を聴いた。ブリュッヘンさん、ありがとう。

うた

久々に人前で演奏した。全曲過去の曲で。演奏するなら、今の曲を書かねばなるまい。書こう、今の曲を、今の気分で。あらためて、歌は面白い。

2014年6月29日日曜日

京都のこと

京都は御池寺町を少し上がったぐらいのところにある某レコード店は、ある店員のおじさんのときは必ずソニー・ロリンズが流れていた。オリジナルアルバムではなく、「サキソフォン・コロッサス」を中心としたベスト盤かなにかだ。二階に上がり、店の入り口付近に辿り着き、ロリンズのまとわりつくようなテナーが聞こえてくると、「ああ、あのおっさんか」と変な安心感を得たのを覚えている。先ず入り口の「ご自由にお持ち帰りください」コーナーを注意深くチェックした後、奥の歌謡曲コーナーの向かいのワールド・ブルースコーナーへ一直線に進み、間違った値段の付いた掘り出しものを掘るのが日課であった。
久々に我が家で京都の某レコード屋の雰囲気を味わっている。

2014年6月24日火曜日

梅雨中

梅雨は繊細な季節、繊細にさせられる季節。普段の油断を思い知らされる。梅雨と仲良くなろう。

2014年6月13日金曜日

考える

考えるということは疑うということだろうか。それは本当か?考えずに信じるのは危険だ。

little girl blue

音楽を書くのに音楽はあまり現れないが、視界、というか観念の隅の少し向こうに静かに存在(流れるわけではない音楽、時間ではない)する音楽、曲、詩、そして歌、ニーナシモン。落ち着いて、あるがままにと言われているような気分、死ぬまで存在するだろう。死んでからも、かも知れない。

2014年6月7日土曜日

梅雨入り

梅雨らしい梅雨の始まりである。玄関を開けると、飛び石を残して一面雨水、夜に観る水面下の苔は海草を想わせる。予報は当分雨、風も手伝って、東京が洗われるようで気持ちが良い。

2014年5月29日木曜日

同じ阿房なら

音頭とは、リズムのことかと思っていたがそうではなく、俗には主唱者に対する掛け合いの関係が音頭と呼ばれるらしい。旧馬橋地区に伝わる(?)馬橋音頭の吹奏楽編曲をした。夏に北中通り商栄会主催の「馬橋盆踊り」で、杉並学院の演奏で披露する予定だ。アレンジは世間で親しまれている音頭とは若干異なるが、音頭は音頭、踊らないのは損である。

2014年5月27日火曜日

五百円玉

少年時代、僕にとって一番価値のある貨幣は五百円玉だった。重みがあり、大きく、貨幣の王様だった。紙幣は金属の硬貨の重厚さに比べて物質的に劣り、紙っ切れという印象が強かった。お年玉が硬貨から紙幣に変わったときにがっかりしたのを覚えている。だから甥っ子姪っ子には五百円玉でお年玉をあげる。しかし彼らはお札の方が強いことを知っている。

2014年5月25日日曜日

締めねば閉まらん

近所の図書館は、閉館15分前になるとバッハのブランデンブルク協奏曲3番の第1楽章が流れ出す。閉館という雰囲気が出ないのか、音楽が鳴り始めても来館者はだらだら本を物色し続ける。

2014年5月17日土曜日

ヴィオレータ・パラを聴きながら

パラグアイの作曲家で演奏家でもあったバリオスの楽譜のセットを格安で買った。前の持ち主の痕跡が残っている。大事にしていたようでとても綺麗だ。曲によっては書き込みがある。きっと演奏会で発表したのだろう。やや過剰な解釈、でもその人と会話しているようで楽しい。前の持ち主は亡くなっているのではないだろうか。存命中なら手放さないだろう。1977年3月20日購入とのメモがある。

2014年5月14日水曜日

視点

全てを音楽に結びつけて考えたり行動していると、音楽と呼ばれる小さい枠に自分を閉じ込めていることに気づかない。

2014年5月13日火曜日

春の音楽祭が終わった、あとに

問題の音楽は異物でしかなかった、が、異物なので仕方ない。否定されても肯定されても、作品は静かだった。

春の音楽祭が終わって

イベント自体が問題なかったということが安心かというと、そうでもない。あんなに荒れた日は今までになかった。過ぎ去った日は思い出、しかし、苦悩はあの日に置き去りにするべきではないと思う。何をするべきか。何がされるべきか。

2014年5月2日金曜日

春の北中音楽祭のこと2

大勢でひとつの楽曲を演奏するのは大変なことだ。それぞれの気分が複雑に絡み合い、同調し、時に乱れ、音楽は姿を変えながら奏でられる。楽曲自体より個人々々が発する音自体に心を奪われ、気が付けば人間を聴いているのだった。
吹奏楽部の生徒さんは40名くらい、聴くのが忙しい。

2014年4月26日土曜日

春の北中音楽祭のこと

5月3日の午後4時から5時の間、高円寺は北中通り商店街にて、音楽祭「街の鼓動、音の歩道」が開催されます。同じ旧馬橋地区にある杉並学院の吹奏楽部の生徒さんたちの濁りのない音色が、街を、人を色付けることでしょう。大袈裟ではなく、音楽の本質の片鱗を体感できると思います。芸術を完成させるのは受け手です。

2014年4月24日木曜日

正直

就寝前、寝床で本を読み耽っていると、時間は曖昧で、三時でも四時でも一緒だ。時計は見ず、二時の気分で寝れば九時に起きても七時間睡眠、目が覚めると正午前。

落語は人だ。噺の中で人を聴いている。なんだってそうか。

2014年3月22日土曜日

ごあいさつ

高円寺北口、改札を出て左に歩き、斜めに突き抜けるセントラルロードを進み、今は暗渠となっている橋を渡ると、起伏のある路が印象的な北中通り商店街である。この一帯は、昔は馬橋の名で栄えた地区で、今もその名を街の所々で見かける。「馬」「橋」、由来はさておき、全く関係ないようなこの二つの文字の響きが音楽を導き出した。
同じ旧馬橋地区にある杉並学院の吹奏楽部のみなさんが路上で、彼らのレパートリーは勿論、最後には音楽祭を念頭に作曲された「橋」を、商店街の路上を大きく使い演奏します。「橋」は、歩く速さの五拍子、歩調を変えれば音楽は変わる。気分を、視点を変え、時には止まって、自由に、自分なりの音楽を感じてください。
通り過ぎず、引っ掛かり、ぶら下がり続けるのが北中音楽祭です。

憲法記念日、5月3日。詳細は後ほど。

2014年3月21日金曜日

マネ

こっちを見て今にも何か語りかけてきそうだ。小声で、秘密を打ち明ける様に、僕だけに。大きな輪ではない。マネの絵はちゃんと音がする。

2014年3月12日水曜日

丸三年

今日は、正確には東日本大震災があった次の日です。あの揺れの一つ目の後に携帯電話が鳴った。京都の友人だった。その直後、掛け直しても繋がらない。それが当たり前の一日だった。あの一日を振り返る上で忘れられない事の一つだ。きっと理屈を超えた本能的な電話だったと思う(地震から一分以内だったはず)。あの日に電話が繋がったことが奇跡だ。しかし出られなかった(何故?思い出せない。混乱はしていなかった筈だ、混乱の中にいたが)。そんな彼は今カルフォルニアにいる。

勝手祝い

幸田文のエッセイを呼んでいると「祝い好き」という話が現れた。電車の中は込んでいる。冠婚葬祭、行事とは関係なしに個人的な物事(文章は季節によるものに特化していた)と関連付けて勝手に酒を飲む、というのが全貌である。先日、帰路、近所を歩いていると家々で梅を所有している。枝垂れた梅、枝の太い無骨な梅、その他の種類の梅を眺めていると、自然と目出度い気分になった。その日の酒は憶えていない。話は数文字戻って、電車に乗る前に古い友人から子供が出来たとの連絡が。勝手祝いには持って来いの吉報だ。

2014年3月6日木曜日

編曲を通じて

岡野貞一の作品を編曲している。なんでもない編曲、最後に「アーメン」と着地したくなるのはクリスチャン故の自然か(作曲家のことです)。スペイン旅行最後の地、ウエスカ、否、フランスに入って初めの街、坂の頂上から、銀行の看板が視界に入りつつ見た砂漠のような風景(色調のみ)。編曲を回想して見た記憶の断片、記憶力には自信がない。

2014年2月26日水曜日

いやよいやよ、いやよ

嫌いだけど比較的好き。矛盾しているが案外そういうものは多い。気に食わなくても一点に向かっているものは魅力的である。

時間では取り戻せないもの

百鬼園先生ごめんなさい。なんで乗ったか、乗る予定がない新幹線にふらっと乗ってしまったことについて振り返ってみてもそっち側にはなにも手がかりがない。自分の速度というものは常日頃意識し認識しているものと自覚していたつもりがこのざまである。幸い共犯者がいる。

2014年2月22日土曜日

批評

過去の文章を読み返す。大体一言多い。サービスのつもりか。結果サービスになっていない。

作曲をしてます

「作曲をしています」と言うと大体凄いと言われる。作曲をすること自体は少し音楽に触れれば誰にでもできると思う。なので凄いと感激されるようなことではない。「作曲をしています」と言うと大体クラシックだと思われる。クラシックの作曲をしているつもりはない。クラシックとロックだったら後者に近いだろう。ロックほど広義なジャンルもない。ロックを決めつけないでください。

2014年2月16日日曜日

G men Hoover

トリニダード・トバコのラムを一本。ヴァン・ダイク・パークスのレコードを思い出す。今も持ってる。全然聴かない。「G men Hoover」が懐かしい。"G"に纏わる或るバンドを組んでいた。さっき元(?)メンバーからメールがあった。モンクの「荒城の月」の演奏のリンクのみ、テキストなし、彼はカルフォルニアのどこかに住んでいる。そういえば昨日から別のメンバーとも連絡を取ってる。相変わらずだ。死ぬまで人は変わらない。俺も然り。

日本、東京

チリ、チリ、ペルー、日本。御徒町から御茶ノ水までは、バルセロナの中心のちょっと西の大きな道を北上するのと同じ気分だった。楽器屋があった。ボロボロの塗装の剥げたギターを指して「これ、いくら?」と聞くと、「試奏用だよ」と返される。スペインの話だ。東京を歩こう。

2014年2月14日金曜日

カリブ海

キューバ、ジャマイカにトリニダード・トバコ。音楽をきっかけに知った国々だ。どこにあるかなど気にもしなかった。ラム酒を嗜むようになって、ガイアナ、マルティニーク、文学も手伝ってドミニカ共和国を知った。最近、演奏に向き合う機会があった(普段は作曲ばかりしている)。ラテン・アメリカ、なんて響きだ。どのくらい遠いかも分からない国々に僕は染まっていた。僕の偏見が僕をそういう風に見たのだろう。

2014年2月13日木曜日

記憶を超えて

僕の人生で記憶に残ったコンサートは数えるほどだ。自ら選んだもの、たまたま目撃したもの、千差万別ではあるが、矢張り偶然目撃したもののショックは大きい。棚からぼた餅、餅は胃もたれ、世は情け、クニ河内、♪海はおとー(う)と、なにがあっても忘れない。

山のある風景

実家を挟んで同じくらいの距離の最寄り駅が二つある。夕刻、二十年前?もっと前かに出来た新しい方の駅から実家に向かう途中、東西を繋ぐ人工的な、この街で主要な道路の上から西を見ると、山のシルエット、秩父の方だろうか。そんなもの見たことはなかった。見ていなかったのだろう。

2014年2月11日火曜日

キノコ

キノコが湯当たりしたかの如く茶碗に可愛らしくもたれている。シメジである。トマト煮込みである。僕は元来、キノコと蜘蛛が苦手(前者に関しては食べるのは得意)で、これはひとときの和解のようである。一方的であり、キノコは何のことか分からない、はず。

2014年2月8日土曜日

祭りのあと4

明日(今日に足を突っ込んでいてもうすぐ地に足がつく)は20年ぶりの大雪らしい。天変地異ついでに、音楽祭当日の天気は2、3日前までかなり怪しかった。天気予報を見る度冷静を装い不安を肴に一杯やった。当日の天気予報は忘れられない。関東は、東京以外は雨、高円寺は晴れていた。初めての音楽祭を無事に終えた夜には音もなく雨が商店街を濡らすのだった。

2014年2月6日木曜日

日本の或る作曲家

岡野貞一という作曲家がいる。「朧月夜」や「ふるさと」と誰もが耳にしたことがある、口ずさんだことのあるあのメロディーを生み出したその人だ。他の日本の唱歌とは違い、少し異国情緒のある独特のメロディーにリズム、成程キリスト教徒だったようだ。

2014年2月2日日曜日

見出し、乱し

子供と酔払いは嘘をつかない、真実は端に寄せて、まあ頷ける格言である。しかし、酔って言い訳している人をよく見る。嘘をついている訳ではなく、正直に言い訳をしている訳だ。結局のところ、分かろうとはしない事だ。 

刹那的即興的

新しいと言われている、思いこまれているものに向かうより、ただ自分に向き合う事の時間のほうが僕にとっては大事だ。友人から千年以上前の作家?の文学?日記(無論、原書ではない)が送られてきた。先日読んだ現代の文学(?)と何ら変わりない。人間の潜在性(僕は本質主義ではない)に目を向けるべきではないか。

2014年1月15日水曜日

肖像画

音楽室には肖像画が掛けてあって、バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、シューマン、メンデルスゾーン、ドビュッシー、マーラー、ビゼー、ハイドンもあったか、シューベルトを忘れていた、ヴェルディ?ロッシーニ、ワーグナー、多分ワーグナーは無かった。一番憶えているのはビゼー、何故かというと髭が顔面の半分を覆っていて印象的だったから。子供なんてそんなものである。そして子供は分かっている。全員凄いと思わなかった。そんなもんだ。
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