2013年12月31日火曜日
2013年12月22日日曜日
2013年11月30日土曜日
遠近
本を読む中で気に入った響きの言葉や一文に出会うと曲が生まれる。ある文章に、遠近に「おちこち」と振り仮名がふってあって、響きが気に入ったのでそのイメージで一曲書いた。あれは確か川端康成。だいぶ経ってある日会話の中でその話になり説明すると、相手はその文章を読んでいて(非常にその文章に身近な人物)そんな言葉あったかな、と首を傾げた。その後気になって読み返すと遠近という言葉は出てきたが(それはそれで凄い)「おちこち」と振り仮名が添えられていない。何度か読み返したが出てこないので、その時期に読んだ本を思い返し調べると、夏目漱石の文章にそれはあった。当時何度も読んだ作品だ。遠近(おちこち)は夏目漱石で書かれ、いつしか川端康成の気分で奏でられていた。
2013年11月22日金曜日
2013年11月2日土曜日
高円寺北中音楽祭のこと21
落ち着くことが一番。そんなことをジョンケージが言っていた。多分。僕はそれをケージの言葉と信じて折に触れては落ち着いている。目の前に見える本番、視覚的に見えているような錯覚。落ち着けるか。
高円寺北中音楽祭のこと19
「音楽の根源、すべての生物が持っている心臓の音=鼓動をあらためてかんじながら、この日だけの音の道を歩いてください。」これは主催者の狩野さんの言葉の断片である。音楽が儀式であったり、祈りであった、まだ芸術(広義の)という概念がなかった時代の音楽、人が本気になればいつでも戻れる場所、それは個々の問題で、押し付けるものではない。純粋に考える人だけが知る。
2013年11月1日金曜日
高円寺北中音楽祭のこと18
舞台となる北中通り商店街のために合奏曲『橋』を書き下ろしました。商店街のかつての地名「馬橋」の発音を含むメロディーを選りすぐりの、独自性を持った演奏者たちがそれぞれの解釈で奏でます。この音楽祭の音の全てが一つの楽曲と考えてください。
音は、増幅を必要最低限にするため、小さく感じるかも知れません。これは「聴く」という行為をしてもらうためで、「聴こえる」という受け身から脱する考えと、生活音とのバランスの配慮です。先ず人と街と音楽が一体になり、加えて色々な要素を巻き込んでいけば面白いと思います。
通り過ぎて行くのではなく、心に引っ掛かりぶら下がり続けるのが北中音楽祭です。
2013年10月30日水曜日
高円寺北中音楽祭のこと17
作曲に専念してから初めて自分の作品が他人によって演奏されるのを聴いた。約40人の高校生の吹奏楽部の演奏だ。その感動はあっけなく淡々と過ぎ去っていった(浸っている場合ではなかった)。頭の中で想像していたのとあまり変わらなかったので取り乱すこともなく、成程、と心の中で呟きながら確認した。僕が書いた旋律を高校生が自分の解釈で音にする。音楽とはこんなにも面白かったのか。これはまだ断片だ。
2013年10月29日火曜日
ルーリード
ルーリードが死んだ。ヴェルヴェッツは直ぐには好きになれずレコードをかけたり外で聴いているうちにゆっくりと好きになっていった。そういう音楽が僕の手元に残っている。僕はこの半年、いやそれ以上か、バッハの平均律クラヴィーア、ヴェルヴェッツの2nd、モンクのなにかを聴くくらいで、あまり他のレコードを聴いた記憶がない。パレルモシューティングは内容はほとんど覚えてないが良い映画だった。ルーリードが出演しているから観たけどどんな役だったかな?友人に散髪してもらう時は「ルーリードみたいに」と注文した。部屋の壁に立てかけてあるレコード、バッハのレコードの後ろに2nd、今チラッと見たら一番前はサティだった。詩人の彼を知らない。今知ってる彼が好きなのだ。
2013年10月26日土曜日
2013年10月22日火曜日
高円寺北中音楽祭のこと15
北中商店街東側入口にかつて架かっていた橋、それが「馬橋」だと思っていた。実際は馬橋村と高円寺村を分ける川に架かっていた橋、名もない橋だ。いや、名があったかもしれない。僕が書いた馬橋の響きを含むメロディーはこの橋に捧げる。
2013年10月19日土曜日
2013年10月17日木曜日
高円寺北中音楽祭のこと13
テーマのメロディーを何回弾いただろうか。五拍子で二小節、初めは五拍子と六拍子の二小節だったのだが、歩くというテーマが入ってきたので一拍抜いてまとまりを出した。アイスランドの民謡は七拍子一小節がテーマだったような。四拍子は考えてみると意外と不自然である。
2013年10月15日火曜日
2013年9月29日日曜日
2013年9月11日水曜日
2013年9月8日日曜日
2013年9月5日木曜日
2013年8月31日土曜日
高円寺北中音楽祭のこと8
音を聴くには聴くという行為が必要だと思う。そこで重要なのは音量である。音が大きければ人に届くという考えは安易だ。意思を持った大音量には共感するが、そんなものしばらく聴いていない。
2013年8月16日金曜日
2013年8月7日水曜日
2013年7月30日火曜日
2013年7月26日金曜日
2013年7月19日金曜日
高円寺北中音楽祭のこと4
「馬橋盆踊り」のポスターはいかにも盆踊りだ。縁起でもないことを言うが、商店街に関する人たちが死者の様相で楽しそうに踊っているではないか。これは盆踊りのポスターだ。死者を供養する踊り、それが盆踊りらしい。かつて死はもっと身近なものだった。生まれるということに死は含まれている。盆に踊って死者と別れ自分が生きていることを確認すれば良いと思う。
2013年7月5日金曜日
2013年7月4日木曜日
高円寺北中音楽祭のこと3
音楽を担当することになった時、初めに、今は暗渠になっている北中通り商栄会の入り口に架かっていた馬橋(まばし)という橋の話になった。地名自体も馬橋だったらしい。馬橋という響きが印象に残っていて、テーマのメロディのヒントになった。
先日、コクテイルで買った本に橋にまつわる小さな章があった。「本来、橋はたんなる交通の建造物であることより、天上と地上とをむすぶ神の通路である。天の橋立のように。また水をへだてた異界へ霊魂が渡ってゆくものであった。」
先日、コクテイルで買った本に橋にまつわる小さな章があった。「本来、橋はたんなる交通の建造物であることより、天上と地上とをむすぶ神の通路である。天の橋立のように。また水をへだてた異界へ霊魂が渡ってゆくものであった。」
2013年6月21日金曜日
高円寺北中音楽祭のこと2
日々作品を書き進めている。その瞬間の感情で気儘に書いて行くのは楽しい。オーケストラ作品だが、オーケストラたるものはという前提は無視している。それが正しいかが疑問だからだ。しかし先人の仕事は一途で感動的だ。それは無視できない。
2013年6月4日火曜日
2013年6月3日月曜日
ゴミ置き場の絵
夜、家路を歩いていると近所のゴミ置き場に大量の絵が捨ててあった。5号くらいの小さいものから50号くらいの大型のものがビニール紐で5枚ずつくらいにまとめて縛ってあり、絵の面を下にして置かれている。どんな絵か見てみたくなり、ひと固まりを拾い上げひっくり返すとモノトーンで対象を単純化した無機質な静物画であった。近所の人が趣味で描いていてなんらかの理由で処分したのだろう。絵が捨てられているのを見るのはなんだか悲しい。次の日、そのゴミ置き場を通ると絵が少し減っていた。だれかが持って帰ったのだろう。絵の束を一つ拾い上げてひっくり返すと昨晩見たものと同じような作風だった。作者はこの作風に執着していたのだろうか。そしてまた次の日、絵はさらに減って残り数枚になっていた。近所の家々の壁にこの作者の絵が飾られていることを願う。
2013年5月24日金曜日
高円寺北中音楽祭のこと1
11月3日は文化の日、音楽を書く身としてはぼさっとしていられない特別な日だ。と言ったものの今年まで文化の日がいつかなんて知らなかった。今年、高円寺北中商店街にて音楽祭が開催されるのだが、その音楽監督を任されることになった。古本酒場コクテイルからのお誘いである。商店街路上にオーケストラのリード、ホーン、打楽器、店舗内に弦楽、ゲストミュージシャンを配置、来場者は歩きながら位置によって変化していく音楽を体感する、果たして。テーマは「街の鼓動×音の歩道」。
2013年5月11日土曜日
2013年5月10日金曜日
2013年4月29日月曜日
2013年4月14日日曜日
2013年3月19日火曜日
2013年2月21日木曜日
2013年2月18日月曜日
2013年2月17日日曜日
2013年2月10日日曜日
2013年1月17日木曜日
2013年1月13日日曜日
2013年1月9日水曜日
2013年1月8日火曜日
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