2011年11月16日水曜日

どうでもいい

曲や歌詞の説明は野暮だが前文の流れに乗って僕の「どうでもいい」という曲の歌詞についてひとつ。この曲は、「本当かい、それは、知らなくていいよ、どうでもいいよ、本当のことは、知らなくていいと、思うんです」という一節が主なのだが、これは、知ってしまったが知んぷりをしよう、という解釈と、これは知ってしまったが知らなくても良いことだったな、という解釈に分かれる。前者は実際に起こった出来事を言っている感じがあるが、後者は知識の要素が強い。正解は後者である。、、、そしてここで「どうでもいい」が流れます。
欲しいものだけ持ち帰るというのは人間の業であります。時間を要するが、前回の前向きな文章を読んで元気出してください。そしてそのあとにまたこれを読んでください。

知識

「知る(識る)」という事について考える。知識は、これが溜まっているところの事を言うのだろうか、ありがたく、時には非常に煩わしく、非情であるが、いま現在ではありがたいことが多い。創作のときには意識的(最終的には無意識によって)に離れるが、これが自然になることを思うと楽しくなる。それは若返るようなものだと思う。そういえばジョン・ケージも忘れていくことが楽しいというようなことを書いていた(もしかすると知識からそれが覗いたのかも知れない)。「歩」が「と」になるのはこういう感じなのだろうか。

2011年11月3日木曜日

導かれるもの

教会の屋根をふと見上げるとアンテナが十字架になっているのは、普通だ。

2011年10月23日日曜日

E

La guitarreriaは僕がスペイン滞在中に弾くために買った中古の安物ギターの名前で、当初の予定では、荷物になるので帰る時に現地で売り払らおうと考えていたが、しばらく旅を共にしたことで愛着が湧き、結局連れて帰って来た。どんなギターかというと、穴から中を覗く(これは穴があいたギターの醍醐味である)と木材の接着面から糊がはみ出していて、製作時に目印として鉛筆で書いた印が残っていて、ラベルを一度はがしてまた貼り付けた痕跡が残っている。お土産のにおいがする(二つの意味で。実際お土産なのでは)。外側は、パッと見は問題はないが何となく雑さが感じ取れ、落ち着きがない。でもちゃんと単板で、音はでかい。帰国後、調子が悪くなって修理に持っていくと、「こんな重いギターは見たことがない」と店の人が驚いていた。確かにちょっと重い。値段は当時日本円で三万五千円くらいだったと思う。でもいいのだ。開き直っているのではない。持っていても愛着が湧くものとそうでないものがある。このギターは前者で、なにがそんなにいいかというと、気を使わないから。

2011年10月15日土曜日

赤黒

今朝、本棚にある新明解国語辞典を見て愕然とした。赤と黒以外に白と黄色も使われていたのだ。迂闊だった。意味不明な人は前回の文を見てください。一度発信した文をいじくるというのは姑息に感じられたのでここで白状して許してもらうことにした。
さて、赤と黒というとスタンダールですが、読んでいないので分かりません。

トラウマ

トラウマと聞くと虎と馬を連想するように赤と黒のペアを見るとディスク・ユニオンを連想する君、お祓いした方がいいぞ(ちなみに新明解国語辞典はユニオンである)。

2011年10月14日金曜日

映画館

初めて行った映画館は池袋のどこかだったと思う。家族で東武東上線に乗って観に行ったのだ。僕は小学校低学年だった。「風の谷のナウシカ」と「白い町ヒロシマ」の、題名がカタカナつながりの二本立てだった(はず)。無謀と思われる小学生映画二本勝負は、意外にも退屈した記憶がない。内容もよく覚えている。今でも映画館に行くと少し不安な気持ちになる。

2011年10月6日木曜日

日本酒

日本酒が旨い。どこがどう旨いかはいまいちはっきりしない。実際飲んだ後の酔いは鬱陶しい。音楽なんかも良さはそれぞれのようだが本質は一通りだと思う。

映画大好き大嫌い

映画をここのところ週に三本観たが大体下らない。2時間で云々の次元でもない。模範的なのだ。その中でもtalk to her、黒い雨は美しかった。周りが見えていない。

Ligeti

リゲティは作曲家で、二年前くらい前から聴き続けているが、何がいいのか分からないが聴き続けられているのは聴き良いからだろう。

らも

中島らもが好きだ。気に食わない部分に共感できるのは実際に好きな証拠だろう。最高に面白いが、一方で非常に冷める。

2011年8月29日月曜日

Daniel johnston

「悪魔とダニエル・ジョンストン」は映画です。彼(無論監督の話ではない)の作風はすべて同じ(広義の意で)で、それは偉大な芸術家の特徴だと思う。

2011年8月25日木曜日

笠智衆

笠智衆は日本の俳優である。名前が珍しいというのと、存在感、そして台詞が棒読みなので心に残っていた。これまで何本か出演作品を観たがすべて棒読みだった。ああ、氏は棒読みなのだと合点した。
しかし先日、映画を観ていると氏に似た俳優が普通に演技していた。調べると本人だった。

2011年8月20日土曜日

野鳥入門

野鳥入門にやって来た何も知らない諸君、入門しているのは筆者である。

2011年7月1日金曜日

New tweedy bros!

いつだったか、思い出せないほどではないくらい前、クイズ番組(多分。クイズが主体ではなかったような気も)を見ていると、シンキング・タイムに聴いたことのある曲が流れ出した。すぐには思い出せなかったが、それがNew tweedy bros!の曲だと分かるまでには一日はかからなかった。
New tweedy bros!はバンド名である。60年代(?)のサイケデリック・ロック、ジャケットは六角形、銀色、オリジナルのレコードは世界に二枚だったか、その内一枚は未開封、これは日陰の音楽だろう。そんなNew tweedy bros!の曲がお茶の間に何気なくクイズの途中に流れるというのは、本当にどうでもいいことである。
物を整理していると一枚の紙片が出てきた。「昔クイズ番組でthinking timeにNew Tweedy Bro.が流れた。」とだけ書いてある。

2011年6月29日水曜日

musicのとなり

英和辞典を開くとそこにはmusicの文字。ジョン・ケージがキノコに興味を持ったのはmusicのとなりがmushroomだったからだと何かの記事で読んだ。musicのとなりは、

mushy かゆ状の,どろどろの;感傷的な,ぐちっぽい.

ジョン・ケージの辞書が僕の辞書と同じものだったら歴史は変わったかも知れない。かゆ状でどろどろの感傷的でぐちっぽいなにかに興味を持ったかも。
余談だが、mushroomは動詞にもなるようで、キノコ狩りをする;キノコ形に広がる,急成長する.というふうに使えるらしい。

2011年5月28日土曜日

もう惨事だ。さっきまで虹だったのに。住持だった頃もあった。そんなことを思っていると余事になる。誤字

2011年5月16日月曜日

シュルレアリスム展

シュルレアリスム展に行った。土曜日で、更に最終日の前日だった所為か混んでいた。目当ての作品を数点ゆっくり観て絵には満足したが金を払ったので、好みの女性を探し、ゆっくり観て美術館を出た。

夜道

、、、知らないよ、人生は。俺は一人で生きていく、、、
暗闇からふらふらと自転車が近づいてくる。酔っ払いが大声で叙情的に歌いながら通り過ぎていった。演歌ではない。唱歌のような優しいメロディだ。明るくも暗くもない、抑揚もない。

2011年5月10日火曜日

夢一昼

いつの間にか眠っていた。夢を見たが内容はよく覚えていない。夢の中で「夢だ、起きよう」と思ったが戻れない。動き回れば覚めるだろうと思い、夢の中で大暴れするが、覚めない。段々疲れて、倒れるといつの間にか夢は覚めていた。運動した後のようだ。

本を三冊

本を三冊、裸で持って(無論、裸なのは本である)、インテリ気取りで図書館へ。本は漫画である。本が辞書に見えるように歩く。

2011年4月18日月曜日

Upa Neguinho

ウッパ・ネギーニョUpa Neguinhoは曲名で、僕がブラジル音楽に興味を持つきっかけとなった曲である。十数年前、当時住んでいた街の本屋で偶然聴いて、気になったがなんの情報も得られずそのまま数年が過ぎた。ある日友人から借りたエリス・レジーナのCDを聴いていると聴き覚えのある独特のメロディが流れ出したではないか。その時初めてウッパ・ネギーニョという曲名を知ったのだった。
先日用事で久々にウッパ・ネギーニョと出会った街に行くことになり、駅を降り、懐かしさに浸りつつ目的地の店に辿り着き、中に入ると、なんとウッパ・ネギーニョが流れていた。因みに金券ショップです。
ウッパ・ネギーニョ、なんなんだこのトボけた題名は。意味は知らない。

2011年3月7日月曜日

(I Can't Get No) Satisfaction

喫茶で何気なくユーセンを聴いていると、ストーンズのサティスファクションのカバーが流れてきた。チャンネルはブラジル、ボサノバ調にアレンジされたサティスファクションを女性がぼや~っと歌っている。なんのことなく終わり次の曲が始まった。次の曲が終わると聴いたことのあるイントロ、今度は男性ボーカル、サンバ調のサティスファクションが始まったではないか。ブラジル人は(I Can't Get No) Satisfactionなんだな。

ケースを開けると

中古CDを買ってケースを開けると鼻毛が一本、まるでダイイングメッセージのように。僕が鼻毛を見るように鼻毛もぼくのことを見ていた。鼻毛からすれば僕なんかは僕が鼻毛を見て「鼻毛だ」と感じるくらいのものだろう。
無論その鼻毛は僕の鼻毛ではないのだがまるで僕の鼻毛のようにも思えるのだ。

2011年1月5日水曜日

富士

晴天が続く。電車の窓から外を眺めていると、川に差し掛かったところで景色が開け、富士山が見えた。この土地から富士山はもう見えないと思っていたのでうれしい発見だった。ここは埼玉、富士見である。
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