2013年11月30日土曜日

遠近

本を読む中で気に入った響きの言葉や一文に出会うと曲が生まれる。ある文章に、遠近に「おちこち」と振り仮名がふってあって、響きが気に入ったのでそのイメージで一曲書いた。あれは確か川端康成。だいぶ経ってある日会話の中でその話になり説明すると、相手はその文章を読んでいて(非常にその文章に身近な人物)そんな言葉あったかな、と首を傾げた。その後気になって読み返すと遠近という言葉は出てきたが(それはそれで凄い)「おちこち」と振り仮名が添えられていない。何度か読み返したが出てこないので、その時期に読んだ本を思い返し調べると、夏目漱石の文章にそれはあった。当時何度も読んだ作品だ。遠近(おちこち)は夏目漱石で書かれ、いつしか川端康成の気分で奏でられていた。

2013年11月22日金曜日

祭りのあと2

事が始まった瞬間に気付くことがある。このイベントは長い。途方もないと途方に暮れた。時間とは平等なようで実際は人それぞれのフィーリングだ。僕はのんびりしている方だがさすがに三時間半はしんどい。マタイ受難曲なら別だが、と言いつつ通して聴いたことはありません。

祭りのあと1

人が何かに向かって何かをすることから生じるパワーというのは、途轍もない。本気で何かをやっている人と本気で何かを一緒にやったら想像もつかない事が起こった。これは一つの始まりだ。

2013年11月2日土曜日

高円寺北中音楽祭のこと23

街の鼓動、音の歩道。改めて考えてみる。

高円寺北中音楽祭のこと22

教室に近づくと例のフレーズが漏れてくる。吹奏楽との打ち合わせ。はっきり言って音程は良くない(西洋音楽の概念としての)が、音楽は良い。一生懸命なのだ。

高円寺北中音楽祭のこと21

落ち着くことが一番。そんなことをジョンケージが言っていた。多分。僕はそれをケージの言葉と信じて折に触れては落ち着いている。目の前に見える本番、視覚的に見えているような錯覚。落ち着けるか。

高円寺北中音楽祭のこと20

ルーリードが死んだ。僕の中の音楽の一つが生きている人の音楽から死んだ人の音楽に変わった。僕もいずれ死ぬだろう。だから「生きる」のだ。

高円寺北中音楽祭のこと19

「音楽の根源、すべての生物が持っている心臓の音=鼓動をあらためてかんじながら、この日だけの音の道を歩いてください。」これは主催者の狩野さんの言葉の断片である。音楽が儀式であったり、祈りであった、まだ芸術(広義の)という概念がなかった時代の音楽、人が本気になればいつでも戻れる場所、それは個々の問題で、押し付けるものではない。純粋に考える人だけが知る。

2013年11月1日金曜日

高円寺北中音楽祭のこと18

舞台となる北中通り商店街のために合奏曲『橋』を書き下ろしました。商店街のかつての地名「馬橋」の発音を含むメロディーを選りすぐりの、独自性を持った演奏者たちがそれぞれの解釈で奏でます。この音楽祭の音の全てが一つの楽曲と考えてください。
音は、増幅を必要最低限にするため、小さく感じるかも知れません。これは「聴く」という行為をしてもらうためで、「聴こえる」という受け身から脱する考えと、生活音とのバランスの配慮です。先ず人と街と音楽が一体になり、加えて色々な要素を巻き込んでいけば面白いと思います。
通り過ぎて行くのではなく、心に引っ掛かりぶら下がり続けるのが北中音楽祭です。
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