2017年9月28日木曜日

Clear Soup

作品は、触れる人によって姿を変える。なにが描かれているかは、その作品に向き合った人が決めれば良い。そして決まらなくても良い。そこに至るまでどれだけ遊べるかが大事だ。作者が描いたものと違うものが存在しているかもしれない。それはこの先も未だ変わるかもしれないし、元の場所に帰ってくるかもしれない。
ピカソの話で、画商が、描かれたものを当てたがるのにうんざりした、というのがあった。実際描かれているものより、そこから発せられるものを個々が自由に受け取れば良いのではないだろうか。

河合真里さんの個展「Clear Soup」で、作品に寄せた即興演奏をした。演奏場所に近いところに掛けられていた、夜明けの空気を通して見る未だ夜の空の色をした部屋に置かれたボウルに、さらさらの液体が張られた絵の底の方の気配から音を出し始めると、その絵の隣に掛けられていた三点の静物のひとつの、中心がくびれた野菜のような鉄アレイが、その重さを無視してボウルの底からゆっくりと水面に向かって浮き上がってくる。水面に触れようとするところで何故か心が引き戻される。約二時間の演奏はほとんどその繰り返しだったように思える。

傾向

たまに過去の作品を聴き直す。面白いことに、一番最近の「考える日」が最も荒く、緊張感がある。他の作品にはどこか慣れのような雰囲気を感じる。「考える日」が、出来るか分からないことにあえて挑戦したのに対し、他の作品は、出来ることの中で最善を尽くすやり方だったからだろうか。

2017年9月22日金曜日

待つ

録音しようと思っている作品群がある。「わたしの死」という名にするつもりだ。しかし、気がそっぽ向いている。前作「考える日」の時のような、気持ちが走っているような感覚がない。録音し始めたら動き始めるのかもしれないが、どうにも腰が重いのだ。自然と録音を始めるときを待つ。

再構築

録音物として発表の機会がなく、ほったらかしになっている楽曲を引っ張り出してみる。古いものは15年くらい前の作品だ。毎回そのまま元の場所に戻すことになるのは、ただ懐かしく当時の方法で演奏するからだろう。今回は、楽曲の要素を分解、分析し、組み直してみることにした。
いくつかの和音群に旋律を乗せ、最後に歌詞を乗せる方法を使って作曲していた頃の作品なので、旋律の動きと歌詞の結びつきが緩い。旋律を一度楽譜に起こし、歌詞との関係を確認する。旋律が持つリズムの形を抜き出し、シンコペーションの位置を探る。和音の組み合わせを旋律から導き出す。不自然にならぬよう気を付けながら。
©野鳥入門 All rights reserved.