2015年12月31日木曜日

また来年

今年が終わる。今まで年をまたぐ事にそれほど関心はなかったが、今年は来年をすごく意識している。今年やってきた事を来年は更に大きく広げたい。どんなに厳しい状況でも楽しむことを忘れずに、そして楽しませることを忘れずに生きよう。

2015年12月19日土曜日

三村京子、そのひと

「いまのブルース」を聴いている。ライブの方が好きだが、この録音は三村さんのライブの空気を内包している。ほとんどが弾き語りで、三村さんと四畳半の和室で語り合っているような近さ。数曲来訪者がある。フジワラサトシくんと僕だ。
自分自身と語り合いたくなったら、この音楽をかけたらいいよ。

2015年12月8日火曜日

考える日11

話すことで確認し、新たな答えを見つける。或る答えはまた問題になり、僕は退屈しない。今日を考える日にしよう。明日も考える日かもしれない。そこにある隙間は考える余白、余白は視覚的なものかもしれないし、観念的なものかもしれない。それも考える要素。そこにある隙間は君のための余白。考える日は始まりで、時間を経ることで考える行為は必要無くなるかもしれない、ということを考える日がある。僕は一人ではない。考えられることで君は輝いていられる。君は僕かもしれない。君が僕のこと言っているのかもしれない。考えることで君(僕)は輝いていられる。そう、僕(君)は一人ではないし、自分だけでは自分のことなんて分からない、と言うことを考える日。

考える日10

名古屋駅からとにかく歩く。慣れない街をただ歩くのが好きだ。それが一番その街のことが分かると思っている。十数年前に訪れたときの印象から、大須観音を目指す。しかし、大須観音駅についた時、時間は尽きた。次はここから始めよう。
名古屋はいつも優しい。誰にでも優しいわけではないと思うが、いつも優しく迎えてもらっている。演奏中、心は波打っていたがなんとか乗り切った。新たな始まりの終わり。

考える日9

共演の三村さんはふらーっと到着した。京都で会う三村さんは懐かしい。
yogue店主が用意してくれた渋い料理がメニューに並ぶ。優しい哀愁。早めに来ていた友人に日本酒を少し分けてもらう。
じゃんけんで順番を決めた。何番でもよかったが、一回戦敗退の結果トリに。
音に質感があった。空間を徘徊する音、言葉、心。
その内に終わりがやってくる。そして、帰るべきところに帰った。

2015年12月5日土曜日

考える日8

京都に移住するきっかけになった友人と半年ぶりの再会。半年はあっという間で全く懐かしい感じはない。友人の息子はすくすく育っていて僕の感覚を飛び越えて行く。これには半年という時間を感じる。
浄土寺は軽食みなみ、これが正しい呼び名か疑わしいが、そこは放っておこう。店の前で共演の谷内くんとシャラポア野口が喋っている。軽い挨拶をかわしてドアを開けると、東京で馴染み深い友人がカウンターでコーヒーを前に静かに座っている。ちょうど彼は京都に滞在していて、残念ながら演奏を待たず東京に帰ってしまうのだった(昨日東京某所で会った)。僕もコーヒーを頼み、彼が京都駅に発つまで談笑する。共通の友人を待ったが、遂に現れず時間切れ、彼は店を後にした。再会は果たされないと思いきや、彼が店を出た瞬間に到着。僕は敢えて立ち上がらず、その光景を見ていた。

2015年12月4日金曜日

考える日7

金沢は雨だった。初めて降り立った地、少しずつ塗り進めて行く。特に見どころには行かず、限られた時間で市街を歩く。途中、引っ掛かったカフェに吸い込まれる。素晴らしい驚き。
道の真ん中に何かを立てられる装置のある商店街を静かに進み、オヨヨ書店に到着。暫らくして共演のふくらはぎばたけ竹内氏が現れる。自前の古めかしく、特徴のあるオルガンと共に。新作CDは最後のパーツ、歌詞カードを手に入れ、この日遂に日の目を見る。
ライブは静かに始まり、静かに終わる。
終演後、機材の撤収時、猫が脱走、なんとも言えない、生きた心地のする時間(勝手に済みません)。打ち上げがてらオヨヨ書林さんに連れてってもらった赤提灯で燗酒とおでんを。素敵な時間をありがとう。

出張斉藤バルを終えて3

今回誘ってくれたテニスコーツのお二人には感謝したいところだが、ただ感謝しても面白がってくれないだろうな。BGMは植野さんの意向より、終始BOØWYでした。BOØWYは僕らの共通点です、といって巻き込もう。さやさんはいい迷惑だろうな。でも楽しんでくれるよ。Music Exists、本当だ。テニスコーツは本当のことを言ってもいい人たちだ。また遊んで下さい。

出張斉藤バルを終えて2

営業はというと、僕はのんびりしているから、非常に周りに迷惑をかける。
手伝いをしてくれた上にデザートまで用意してくれた友人と、淡々と前半をこなす。しかし、予想以上のオーダーに演奏直前に料理はほぼ底が見えた状態。ライブの半ばに料理を追加することを決意し、近くのスーパーに走る。
ライブはアンコールに突入。終演後に備え、段取りをイメージする。そしてライブは美しく終わりを迎え、ぽつぽつと料理の注文が入る。慣れない道具で慣れない料理をするのはなかなか骨が折れる。数人のお客さんをだいぶ待たせてしまい、申し訳なかった。ただ、料理には心を込めた。それが味覚を越えて心に届いていれば嬉しい。

出張斉藤バルを終えて1

物凄い疲れているはずなのに、とてつもなく元気だ。元気をもらったとでもいうのか、そんなことがあるのか、あるかもしれない、テニスコーツだから。Music Exists disc1を聴きながらキーを打つ。

キチムには、友人が働いていた頃に何度か顔を出したが、タイミングを外し、お店に対し妙によそよそしく振舞っていた自分を回想する。今回の話があったとき、キチムという存在はまっさらで、新しい気持ちで受け入れられたのが記憶に新しい。そして、この場所が身近になったのは単純に本当に嬉しい。

2015年11月28日土曜日

考える日6

CDは、何事もなければ今日の夕方、レコード発売記念ライブの初日に完成する。こんなにぎりぎりまでしつこく物を作ったのは初めてで、これからの基準になると思っている。
ぼくはここ数年、考えることが先ず音楽を、芸術を、多くの表現を、そして人間を生かしていくことだと思っている。当たり前のことのようだが、そうでもないと感じる場面に向き合うことが多い。
全ては説明されていないし、説明することは出来ない。考えた過程の塊が答えと呼ばれているだけだと思う。答えより考えた過程が面白い。そして、まだ考える余白は残されているのだ。

2015年11月15日日曜日

考える日5

録音から半年弱、幾つかの自主企画やバンドの結成、コクテイル書房の定休日を借りてのバルの営業、たくさんの演奏などを経たことで、表現に対する気持ちに変化があったのだと思う。特に三村京子さんの作品への参加、彼女との会話は、自分自身に向き合うとても大きなきっかけになった。本当に感謝している。

10月28日から録音を始め、それからほぼ毎日11月9日まで録音を続けた。完璧とは言い難いが、今の自分に出来ることは出し切った。それからミックス、マスタリングを徹夜でこなした。デッドラインは11月11日だった。

考える日4

録音は初夏に済んでいた。その頃は、なんとなくCDでも出そうかなというくらいのぼんやりとした気持だった。実際出そうと決意したときには、その録音は既に色褪せていた。目的を持たずに録音した作品も悪くはないが、今の自分には合わなかったらしい。

夏の去り際、名古屋でのライブが決まった。それから少ししてCDを出すことを決め、流れで名古屋のライブをレコ発にしようということになった。そして立て続けに金沢、京都とライブが決まる。
録音も終わっているし、あとはパッケージをどうするかだけだと思っていたのだが、いざ久々に過去の録音を聴いてみると心に響かない。この時点でレコ発の一月前だった。

2015年11月13日金曜日

考える日3

紙のことで、盤のことは遠い昔に打ち捨てられていた。これはたった二日間の出来事。
その夜、プレス会社からメールが。「色指定に不備があります。PANTONEからDICへの変更を願います」という旨。前途の横文字は色見本のようなもので、前者はヨーロッパ、後者は日本の規格。CDの色を決めた時点では紙の色は未知だったので、なんとなく決めた好きな色合いで入稿した。一目惚れした紙とCDの色は全く噛み合わない。早速、昼間決めた動物的黒色に寄り添った盤面になるよう、指定した。

考える日2

盤は数日前に入稿。本日、ジャケットの打ち合わせに、先日飛び込みで連絡した足立区に作業場を構える活版印刷の会社へ。赤羽からバスで東へ向かう。工場は広々としていてアトリエの様。側転を何回か出来る広さ。挨拶を済ませ、早速本題へ。紙選びの段階で提示された新商品の台紙に一目惚れした。優しい動物的な少し青味を帯びたような黒。値は張るが、結局それに決めた。その後も活版の情熱と可能性についてサンプルを参考にしつつ談笑、時間が来て店を後にした。

考える日1

歌曲集の録音物を発表します。要はCDを出します。数年ぶりに、録音から発注からなにからなにまで自力で引きずりながら進めてます。その中で感じたことは、随分往生際が悪くなったなーということです。

2015年11月5日木曜日

発、そのもの2

終演後、植野さんを囲んで談笑、輪の中がミュージシャンばかりだったことから、植野さんが自己紹介がてら二曲ずつ披露しようと強引な提案、ギターに一番近かった僕から第三幕が上がる。最近の得意な曲と少し昔の僕らしい曲を。続いて第二幕でさやさんと共に客席で歌っていた方、蓋を開ければ池間由布子さんだった。カバーを一曲、オリジナル一曲を披露。静かな中に鋭さを持った言葉が独特の声色に乗ってぼろぼろとこぼれる。続いて紹介されたのが神田さやかさん。幽かな歌声だが言葉がすっと近づいてくる。すっと近づいたかと思うと目の前で落ちたり、消えたり。そして、テニスコーツさやさん。ニコニコしながら発せられる音楽が、ずっしりとステージにもなった小上がりに積み重ねられていく。本編の影響からか、音と言葉、心が物質的にあたり一面に散らかる。美しい邂逅、その他にも嬉しい出会いが。

発、そのもの1

不思議な緊張感に包まれた第一ステージ。新曲を中心に構成されている事が事前に公表されていたためか、息をのむような演者と観客のやり取り。もはや「エロ本」という言葉でさえ、深読みの対象になっていた。厳格な様相で第一幕は下りる。
15分程度の間を持って第二ステージ、いい具合に解れた雰囲気(演者本人がビール小瓶を立て続けに2本)で走り出す。序盤で客席のテニスコーツのさやさんがゲストとして呼ばれるが、本人の意向から客席から離れずに共演が始まる。その距離は3メートルほど。二人の声が物質のようにコクテイル書房の空間を走り回っていた。その後、さやさんの近くに座っていた馴染みのお客さんも加わり、既に植野さんの遊び場と化していた。

2015年10月27日火曜日

昨日のこと

変化は怖い。慣れ親しんだ自分の領域から出るのは、意識的には出来ても実際には難しい。
昨日(一昨日ともいう)はいい日だった。するっと友人は不意に僕の態度を突いて、それに対して僕は本当の事が言えた。友人よ、ありがとう。

2015年10月22日木曜日

ja maa sobiの山遊び

トロンボーン担当のピッケル(愛称)の遭難(仕事の都合で不参加)により、今回は助っ人トロンボニストが参戦。紅一点、歌入り合奏曲「はじめに」、新曲のアカペラ曲「おわりに」、そして朗読組曲「山遊び」の朗読に新たな色どり、周波数を与えてくれた。
デビューライブに比べると場慣れした様子のメンバー、全体的に安定感が漂うが、課題は果てしなくあるので、大した問題ではない。無論、僕にも該当する。同じミスを繰り返すという可愛らしい一面を露呈してしまった。
もう一つの新曲、自由合奏曲「あいだに」は、それぞれの個性、そして気遣いが垣間見えて良かった。

次回は、新曲の歌入り合奏曲「とりこ」を引っ提げて挑みます。師走の助走のあたりに演奏会を考えています。
それから、テキスト担当のリコーダー担当者(愛称は未だない)が、新作の朗読曲を提案してくれました。テーマの作曲もお願いしようかな。

先日、今回の作曲者のトランペット担当者(愛称はまだないが、ザイールがいいと思っている。ザギールという響きから)の「とりこ」の作曲に立ち会ったところ、インド音楽を持ち出してきたので、ja maa sobiに新たなエスニシティが加わることでしょう。あえてインド楽器を持ち出さないのも乙かと。

2015年10月2日金曜日

斉藤バル、発

三村京子さん、期待以上にこのイベントの趣旨を体現してくれた。僕の、三村さんの音楽の好きな部分が押し寄せてきて、非現実感から夢うつつの狭間を反復横飛びしているような気分になる。ワンマンならではの演者の揺れが危なっかしく、時に素顔がチラつくところに惹きつけられた。

居酒屋としての斉藤バルも刺激的だが、矢張り音楽がどうしようもなく好きで、面白く、これからは音楽の要素を少しずつ増やしていきたい。斉藤バル主催「発」は続く。

2015年9月23日水曜日

ナメクジ

玄関にある三つの電気のスイッチをほぼ同時に押し台所に向かうと、ナメクジが窓を這っている。別に危害があるわけでもなし、放っておくと、翌朝には姿がない。這った後はキラキラと鈍く光っているが、有害ではないので気にしない。
ある日、小雨の夜、家に帰り例のパターンで台所に向かうと数匹のナメクジが。調子に乗らせてはいけないので追い出す。それ以来現れない。

2015年9月17日木曜日

バル23、24日目が終わる

店先のウッドデッキを作っている。外でも飲めるようにするためだ。久々にフィリピン料理のアドボーを復活させるが、初日はメニューに書き忘れ、二日目は売れずそのまま残る。他はあまり変化なし。天気が不安定なせいか野菜が高い。友人がふらっと来てくれるのが本当に嬉しい。

次回は28、29日です。29日はイベント「発 vol.1」、三村京子さんのワンマンライブです。とにかくたくさんの人に観てもらいたい人のひとり。投げ銭なのでお気軽に、なんてのは全くなく、本気で観て自分で金額を決めて欲しいのです。

2015年9月9日水曜日

追憶アメリカ9

ニューヨークの、まだ見ぬ友人にお土産をと思い、友人宅の最寄駅付近の小さな商店でビールを半ダース、会計時に口髭に白髪が交じる初老のマスターが商品をビニール袋に入れようとしたので、持ち運べる箱に入っているし近くなのでこのままでいいとジェスチャーを交え伝えると、嘘だろ、止めとけというような大袈裟な動きを目を見開きながらするので、本当に要らないからと、強引に裸のビールを持って店を出た。紆余曲折あって(追憶アメリカ5参照)、友人たちと落ち合うのだが、ニューヨーク在住の友人が、「それ、駄目ですよ」とビールに目線を落として言うのだ。聞けば、ニューヨークではアルコールは屋内で楽しむもので、むき出しで持っていると白い目で見られるらしい。路上で飲むなどもってのほか。なんの因果か無意識にワイルドサイドを歩いてしまった。
後日、その友人と東京で再会、路上での酒を静かに楽しんでいた。

2015年9月2日水曜日

22日目が終わる

前回のメニューを少し変えて営業。ベトナム風塩焼そばはよりそれっぽく、ワカモレは材料を買い忘れて中止、茄子のバルサミコ酢マリネは単品には重いので付け合わせとして使った。他にアヒージョ、ポテトサラダ。もっと雑多にしよう。

次回は14、15日です。引き続き思いつきを大事に。

2015年8月29日土曜日

追憶、アメリカ8

ユニオンステーション目指して、空港からその付近に電車を使って訪れたときのこと。物語が次の章に進んだかの如く、まるで違った風景、陽が高いのも手伝って、油断しつつゆっくり、僕は違和感を孕みつつ歩いた。あれは確かに現実なのだが、僕はその速さに取り残され、その遅れの中でアメリカに対峙した。ロサンゼルス。

Bill's Brothers

初めて手にしたギターはBill's Brothersという怪しいメーカーのレスポールカスタムで、ある日なにかの拍子に倒れ、ヘッドの付け根がへし折れたので、ネジで留めて使っていたが、数日弾いていると、弦圧に耐え切れず「メリッ」という音を立ててネジが抜けるので、友人に数千円で売った。

2015年8月28日金曜日

バル20、21日目が終わる

急に涼しくなる。テキーラを始める。合わせてメキシコ料理も取り入れる。先日食べたベトナム料理のチャーハンみたいなやつが美味しかったので、それを土台にした焼きそばをメニューに組み込む。思ったことは全部やろう。

次回は臨時営業、9月1日火曜日です。野ばらの代打で。思いつきを形にします。

2015年8月19日水曜日

まだ首の座っていない赤ちゃんが母親に揺さぶられている。マイクに向かって歌うとお客さんの動きが分かる。気が付けば僕と赤ちゃんにスポットライトが当たっていて、僕らは心で繋がっている。この瞬間が永遠に続くのかと思った矢先僕は歌を歌い終わっていた。

2015年8月13日木曜日

バル18、19日目が終わる

バルと音楽、生活との境目を更になくしたい。どこか構えてしまう自分に挫け、立ち直り、作戦を練る。

次回の斉藤バルは、8/24、25です。それまでに看板を作リたいと思います。

2015年8月10日月曜日

EIMOSEZ RECORDS

完全に廃墟と化していたホームページに見切りをつけ、soundcloudを新たな住処としました。
EIMOSEZ RECORDSは、京都時代に活動していた細胞文学の録音を発表するために発足し、僕のソロや、当時よく共演していた青いプランタンの録音もリリースした。
長いことほったらかしていたが、最近の気持ちの勢いも手伝って、表に出すことにした。といっても、過去の録音を聴いてもらうだけで、それ以上のことはないだろう。

レーベル以外の懐かしい録音もそのうち発表するかも。

2015年7月30日木曜日

最近の演奏の記録2

ブッキングのライブに「うたになって」と名を付ける。名を付けることで輪郭が少しはっきりする。錯覚かもしれないが、それでもいい。
橋本悠さんは、ライブの数日前に友人を介して知り合った。物事に真剣な印象。目線が時間と共に変わっていくのが分かる。もっと話すことがある。
三村京子さんは、10年くらい前に数回共演し、それ以来、心に引っ掛かり続けている。大体そういう時は演奏に嫉妬、もしくは感動した時だ。
当日の共演の前に、レコーディングに招かれた。詳しいことはよく分からないが、単純に演奏したいという気持ちで返事をした。音楽に乗るというよりは、気持ちに乗リたいと思い、挑んだ。よく覚えていない。
演奏は時間と共に流れ、終わる。僕はライブが好きで、大変だけど好きなので、すり減らしつつも向かう。良かったんだ、と思わされる一日だった。

最近の演奏の記録

ja maa sobiデビュー。全曲オリジナル、20分ほどの演奏だった。みな緊張している感じは見受けられず。事後談では、震えていたという声多数。
haraさんは、メロディーも詩も余韻を持っている。同時にその良さをしっかり認識するのは難儀。
PALESSは悩んでいる。悩んでいることが表現に出ているのは本気なのだろう。新たな道を模索している。

京都へ。ぷらっとこだまからの一歩目は、フィリピンの一歩目に似ていた。元田中に行く前に丸太町駅から神宮丸太町駅まで歩く。黄ばんだ景色が広がるのはノスタルジーのせいだ。細胞文学を結成した公園を偶然横切る。
今井飛鳥さんと森さんは、鋭いようでポップな雰囲気を覗かせつつ、やはりどこか鋭い。いくつかの時間が映画だった。
Tumulus宇津さん、洒落が音に出ている。時折悲しいような音色を響かせていた。音楽的にではなく。
店主にーやんは態度に出ている。また行こう、ZANPANO。

yugue、そもそもの始まり。この度京都へ導いてくれたのは店主山根さん。一緒にやるならうつせみやね、なんて事でこの日の共演はうつせみ。結局真面目なバンドで、真面目に面白いことを考えている。この日ははじまりの終わりのような印象。また新たな気持ちで次も共演したい。

初めてゆすらごに行った。結局切り離せないのが黒田。これは説明できないが、人生とは科学ではないのだろう。ビール飲んでカレー食べて話してサヨナラ。
その後、近所のu空間へ。I氏と煙草は切っても切れない。これは世の中とも繋がっている。この日は、出張喫茶をやっていて、その店主、お客さんと少し話す。音楽の話になり、「どんな音楽を?」と流れたので、「少し弾きます」と返し、ギター独奏曲「舟を漕ぐ」と、歌とギターの「祈り」を演奏した。明治の洋館(多分)の木造家屋に響く木造楽器の歌は、始まりの暑さに溶け込む。コーヒーはアイス、そこから二条駅までの道のりは新たな京都との交わりを考えるには充分な距離だった。

バル16、17日目が終わる

今年は夏と向かい合っている気がする。電車内のクーラーが痛い。メニューを変えた。仕込みを減らし、オーダーが通ってから作る料理を増やす。鍋を振るのは命を削るようで実感があって良い。

次回の斉藤バルは、8/10、11です。夏も下山の様相、まだ暑いが、夏はその頃には既に後ろ姿です。思いつきでやります。

2015年7月19日日曜日

バル14、15日目が終わる

暑い。夏になると夏が暑いことを思い出す。本当にこれから冬が来るのか、と思う。繰り返す。
料理を見直したい。ただ単にスペインバルをやるのにも飽きてきたので、流動的に思いついたものを形にしていこう。

次回の斉藤バルは7月27、28日、きっと更に暑いので涼しくなるようなものを。

2015年6月25日木曜日

バル12、13日目が終わる

あーでもないこーでもないと議論しているのを、カウンターを隔てて聞くのは楽しい。二日目、お通しをなくした。考えてみれば、スペインのバルでお通しが出てきたところは確か唯一一軒。
斉藤バルは、ひとつの作品である。結局のところ、和食もスペイン料理も同じで、作る人の一部を食べているだけなのだ。

次回は、京都から帰ってすぐの営業。あまり深く考えず、行き当たりばったりでやります、やりたいことを。

2015年6月11日木曜日

バル10、11日目が終わる

次の段階に来た気がする。僕は、音楽と共に生きてきたので、比較的音楽に強い。音楽を結び付けてなにかやりたい。安易かもしれないが、投げ銭ライブみたいなものを。しかし、内容は、ただ演者を呼んで演奏してもらうのではなく、演者と来場者が考えるライブ、消費するだけではなく考えることで新しい体験をする、そんなものにしたい。基本はワンマンで、曲や詩について話してもらったり、質問が飛び交ったり。
今回は、友人が淡路島産の新玉ねぎを提供してくれた。玉ねぎ嫌いを唸らせる逸品。人が関わるのは面白い。

次回は22、23日。23日にライブしたいという方いませんか?ワインはなるべくスペイン、料理は、迫力を増したいと思います。

2015年6月6日土曜日

ポール盤

僕は、自身の2枚目のアルバムをひそかにポール盤と呼んでいる。
当時、アルバムが完成したので、アイスランドの友人のポールに送った。数日後お礼のメールが来て、そこには、「仕事に向かうため歩いていると、僕の前歯に向かって蠅が飛んできた。そんなこと今まで無かったよ。それを吸い込まなくって良かったと思う。僕は君のアルバムのジャケットがそのメッセージだったと思うんだ。そう思わない?」と書かれていた。
ジャケットを改めて見ると、横顔の半開きの口に蠅のようなものが。蠅を描いたつもりはないが、どうやら蠅らしい。その定かではなかった人物は、どうやらポールらしい。

2015年6月3日水曜日

ja maa sobi

先日記事にしたバンドの名前が決まった。その名もja maa sobi、山遊び。
ja maa sobiは、エストニア語で「そして、適した土地」といったような意味。候補のひとつだったバンド名「山遊び」をメンバーの一人が外国語に結び付けてja maa sobiとなり、山遊びに帰ってきたときにはバンド名に相応しい奥行きを備えていた。
ヤマーソビ、山遊び、ja maa sobi。バンド名が決まると、バンドは輪郭を見せる。まだぼやけた部分はあるが、僕たちは今やja maa sobiと名乗ることが出来るのだ。

2015年6月1日月曜日

バル8、9日目が終わる

暑かった。スペインで入ったバルを思い出す。休憩のたびにバルに吸い込まれ、ビールとタパス一品を注文、数分で店を出る。なので斉藤バルはそんなイメージでやっている。でも、ゆっくりして行ってもいいのです。
たいして忙しくもなく、ゆっくり時間は流れる。スペインの作曲家モンポウのピアノ曲がバルの空間に漂っていた。

次回は、6/7の日曜から3日間。ワインはスペインを中心に、タパスは定番を少しアレンジしたもの。音楽は、ピアノのなにか。コクテイル書房の空間は、ピアノ曲がなんだか合う。
並んだ本が鍵盤みたいだ。

2015年5月20日水曜日

バンドはじめました

友人がアップライトベースを購入したのがきっかけだったか。
その半年くらい前、その友人と飲み歩いていた数軒目、店は満席だった。僕らの後ろに同じ年頃の男が同じく断られる。少し悩んだ末、数日前に僕が迷惑をかけた店に向かい、階段を上りつつ見上げればさっきの男。これも縁だと、共に飲み始める。
それから半年後、その彼を交えてバンドをしようという運びになった。楽器ができるかは問題ではない。コンセプトは「無理やり共感覚」。或るテーマから受けた別の印象によってフレーズを導き出すというもの。
その話を別の友人に話すと、トランペットで参加しますと言う。断る理由もないし、色々な方向から人が集まってひとつのことを達成するのは緊張感があっていい。そして共通の友人の一人を勝手にメンバーにする。
そして集まった5人。メンバーの一人が経営するカフェで顔合わせ。そこで担当楽器を決める。触ったこともない楽器が並び、それぞれが思い思いに音を出し、気に入った楽器を選んだ。楽器演奏をほとんど(全く?)してこなかった一人が、担当楽器が決まったとき、「ところで、この楽器の名前はなんですか?」と聞いたとき、このバンドのための初めのフレーズの形が僕のまぶたの裏に焼き付いた。

2015年5月13日水曜日

録音

最近ライブで歌っている曲を数日前から録音していたのが、ようやく終わった。その前に一度全曲録ったが、作品を意識した演奏が気に入らず、全曲録り直した。新しい録音は荒く、音程も不安定、しかし今の僕の一部を削ぎ取ったかのような演奏が生々しい。今求めているものはそういうものだ。今を生きて、今を死ぬ。この瞬間に納得いくものは時間を経ても納得出来るだろう。

バル7日目が終わる

友人の来訪はもちろん嬉しいが、それ以外のお客さんが入らないと店として成立しないと思う。どうしたら店の中に踏み込んでもらえるか。自分が入りたくなる店、再び来たくなる店を考える。

次回の斉藤バルは25、26日の二夜連続。自分なりのスペイン料理を更に深めていきます。ワインはスペインかイタリアの予定。
先日、友人たちがバルで使えそうなワインを考える会を催してくれた。本命は、配送会社の手違いで冷蔵が冷凍になっていたらしく、流れた。クール宅急便には違いないが。

2015年5月3日日曜日

大吟醸波動スピーカー

明鏡止水の大吟醸斗瓶囲の桐箱で作った波動スピーカーが一先ず完成した。振動によるノイズの問題のみ残っている。
なぜ作ったかと言うと、斉藤バルでお世話になっているコクテイル書房の店主が、「二階にスピーカーを置こうと思う、ひょうたんスピーカーを吊るすのもいいな、一階の配線もすっきりさせたい、よろしくお願いします。」ということで、一役買うことに。
ひょうたんスピーカーを調べると、結構高い。ならば作ろうとひょうたんを購入できる店を検索するも、これだというのがない。煮詰まったので、なにかと色々詳しい小台はBRÜCKEの店主に相談に行く。
「波動スピーカーなんてどうですか?」と、スコッチをちびちびやる僕に彼は助言をくれた。聞けば、筒の両端にスピーカーが装着されたもののようで、帰ってから早速構造を調べる。なるべくお金をかけずに作る方法はないかと、ポクポクした結果、チーンと閃いたのが日本酒の桐箱だった。
翌日、早速近所の馴染みの酒屋さんに桐箱を譲って欲しいと頼むと、快く応じてくれた。「なにに使うの?」と聞くので、「スピーカーを作ります。」とざっくり答えた。怪訝な表情をしていたので、近く持参するつもりだ。

2015年4月28日火曜日

バル6日目が終わる

快晴。4月にしては暑過ぎる。宴会の予約があったので多めに仕込む。途中、コクテイル店主と店の音響環境リニューアルの打ち合わせ。製作中の日本酒桐箱波動スピーカーの設置方法を話し合う。吊るす方向で。そして、料理が楽しい。

次回の斉藤バルは5月11日(月)、ワインはスペイン、料理は、一品くらい新しいものを。

2015年4月26日日曜日

ブルーハーツのつづき

懐かしさを感じさせない音楽、THE BLUE HEARTS、それからThe Velvet Underground。それ以外の、特にロックは、振り返り目を凝らしてやっと見えるくらいのものばかりだ。これは人それぞれで、どれだけ感情移入しているかに左右されるのではないだろうか。さっき「TOO MUCH PAIN」を口ずさんでいた。歌詞は無茶苦茶だが。僕の音楽も、適当な、その時の言葉で歌われてもいいと思った。

2015年4月19日日曜日

TOO MUCH PAIN

ブルーハーツを聴いている。ずっと昔から。ギターで初めて弾いた曲は「電光石火」で、初めての壁は「青空」だった。イントロの譜割りを曖昧に捉えていて、異様な変拍子になっていた記憶がある。初めてライブで披露した曲は「終わらない歌」、それから「ラブレター」だった。最も引っ掛かって離れない曲は「TOO MUCH PAIN」だ。でも歌詞はほとんど頭に入っていない。

2015年4月15日水曜日

バル5日目が終わる

4回連続で雨。それでも足を運んでくれる人たちがいる。ありがたし。
当日、思いつきのメニューが功を奏し、少しだけバルらしさが増した気がした。バルなので、本当はコーヒーなんかも出したいが、それは追々。

次回の斉藤バルは4月27日、ワインはイタリアとなにか。おそらく当日までには気が変わっているだろう。

2015年4月14日火曜日

自作のギター曲を久々に弾いた。もっとテクニックがあったなら、こんなにシンプルで響きを重視した曲にはなってなかっただろう。作品は鏡だ。

2015年4月9日木曜日

顔と音

人柄は顔に出る。好きかどうかは、音楽自体を聴くより顔を見た方が確実だ。顔と出す音がずれている場合は、どちらかが無理している場合がある。僕は、演者を前提に書く場合、いい顔した人にただ曲を書きたい。

2015年4月6日月曜日

いまになって

久々に実家に帰ると、父がバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を出してきて、第5番のページを開いた。特に変わったところはなく、第5番といえば一番音の高いA弦を1音下のGに下げるところが特徴的なので、そこを指摘した。すると父は、「それが問題の部分なのだが、音符をそのまま弾くと曲にならない。弦は1音下がっているが記譜は押さえる部分の音程になっている。」と、楽譜を追いながら説明した。要するに、移調楽器のように、例えばBフラットのクラリネットでドの音を出したいときはレで記譜するのと同じ感覚だ。低い方から3弦は実音なのに4弦目のみ記譜音というのは混乱しそうなものだが。自分でも別の版の譜面を持っていたのを思い出し、今確認のために開いたら、しっかり英語で説明書きがされていた。ちなみに、ギターはよく低い方のE弦を1音下のDに下げるが、記譜は実音だ。父もギターを弾くので余計に引っ掛かったのだろう。
そういえば、僕が京都時代に活動していた細胞文学の相方黒田も昔そんなことを言っていた。ただ、その頃の僕は移調楽器の存在を知らなかったので、全く理解していなかった。あの時このことを言っていたのか。

2015年4月1日水曜日

歌曲

詩のある曲では、言葉の動きに合わせて旋律を書く。音階、リズム、拍子、調は、言葉から受けるイメージに合わせる。辛抱強く付き合っていくと、自然な、無理のない音楽が出来上がる。気を抜くと楽をし、恣意的な音楽が出来上がる。

2015年3月26日木曜日

バル4日目が終わる

新宿でウイスキーを購入、高円寺までの中央線の窓に雨がすっと線を引く。また雨か。用意周到で臨んだつもりが開店ぎりぎりまで仕込み。北中通りと中通り間を何度か走る。出だしはゆっくりだったが、徐々に静かに賑わう。友人、飛び込みのお客さん、コクテイルのお客さん。閉店間際、10年ぶりくらいか、懐かしい顔がドアから覗いた。信じられず僕は眼を丸くして、コクテイルは忽ち時間を超越した空間と化した。

次回の斉藤バルは4/13(月)です。ワインは、もう一回サドヤか。スペイン、チリもやりたいな、イタリアも。料理も出来れば一新したい。

2015年3月22日日曜日

波、返し縫い終る

最後はものすごい丈夫な線でした、と結ぶ。

終幕後、改めて大野円雅さんが書いた主題を読み返してみると、初めに読んだイメージと違う。勝手に抽象的なイメージで捉えていたのは、僕自身が抽象的なイメージをこの企画に持っていたからだろう。企画が進むにつれて各々の共作が完成していき具体的になっていくにつれてこの主題もくっきりと姿を現したのだろうと勝手に思う。

想像以上に出演者の方々が協力的で、たくさんの色濃い作品が生まれました。個と個の交わりが特別な緊張感を生んだのか、どこか得体の知れない、不安定な心地良さを持った楽曲たちに思えます。

2015年3月18日水曜日

練習、返し縫い

返し縫う思考、楽曲、イメージ。考えることに陥ると、考えることだけで物事を判断するようだ。考えたからそういうことに気付くのだが。
本番までひたすら練習する。練習を繰り返すことが大事なことに今更気付く。

2015年3月13日金曜日

バル3日目が終わる

諸事情により、友人宅から二日酔いでのスタート。しかし、人生は僕を導いてくれるのだった。
昼から雨。家からなにも持ってきていないので、酒から食材から買い集める。働かない頭に無理やりオールを持たせ、なんとか営業に漕ぎ着ける。メニューの台紙がないから、前回のメニューを使ってむりやりコラージュ。料理は、追い込まれたせいか、いつもとは少し違った方向からのアイデアが飛び出し面白かった。
夢の中を泳ぐようなゆらゆらした斉藤バルでした。次回は3/23(月)です。サドヤワインかスペイン物か、混ぜるか。春っぽい音楽でも流します。

2015年3月6日金曜日

バル、音楽

単純でいい。というか単純がいい。複雑がいい人は複雑でいい。複雑と仲良く出来ているのなら。方法は色々だ。自分に合っている確信がないのは怖い。自分が何者か考えるより、自分が何に執着して来たか振り返るほうが単純だ、と発言することで単純派を増やそうとするのは、よくあること。

2015年2月25日水曜日

バル2日目が終わる

店に向かうときは晴れていたのに、仕込みの途中必要なものを買いに店の扉をあけると雨。雨といっても微かに道を濡らす程度の。当日は温かく、春を感じさせる気候。料理も春につられて少し明るく見えた。友人から友人の誕生日に譲ってもらったエプロンは、非常にしっくりきていて、既に斉藤バルの要素の大事な一部である。
お越しいただいた方、ありがとうございます。結局会話が楽しく、時間は嘘のように猛スピードで去るのだった。

次回の斉藤バルは、3月9日(月)18:00-23:00(古本酒場コクテイルにて)、炭水化物をテーマに頑張ります。他に、春キャベツのアヒージョなんかもいいですね。

2015年2月20日金曜日

季節のもの

なるべく季節のものを取り入れようと思う。季節の食材は、季節に合っていて季節感を感じられるから、良い。2月は根菜、葉物だろうか。近所の畑で見かける。芋は昔から年中ある。豆が好きだ。
スペインのバルはいい加減な店が多く(自然とそういう店をチョイスしていたのかも)、僕のやる斉藤バルもきっとそういうところだ。季節に寄っ掛かって身を任せよう。

2月23日(月)斉藤バル((古本酒場コクテイルにて)
18:00open / 23:00close

2015年2月19日木曜日

試聴

試しに聴きたいと思ってくれた人のために試聴出来るようにしました。気が向いたら増やしていきます。自身の演奏だけではなく、関わったものを積極的に発表していく予定です。

2015年2月12日木曜日

初日を終えて

料理が美味いかどうかは置いといて、とにかく食べる人を想像して料理した。それしかできないのでそうするしかないのだ。食材は生き物みたいなものだから助けてくれるだろう。コーヒーは、誰かのために入れると不思議と美味く出来る。しかし、コーヒーは出していない。

次回の斉藤バルは23日(月)18:00-23:00(古本酒場コクテイルにて)、変わらずです。山梨のサドヤワインを出します。それになるべく合わせた料理。

2015年2月8日日曜日

バルに向かって

試作をして至ったところは、余計なことをするべきではないということだった。変に個性を出そうとすると個性が失われる。
出したいワインが近所に売っていないので数日前ネットで注文をした。今日の昼過ぎに届くはずだったが、届かない。注文内容を確認すると、来週の日曜着になっていた。そういうこともある。
普段使わない食材も使ってみた。新たな楽器を取り入れるようで面白い。音色はまだ未知だ。

2015年2月4日水曜日

斉藤バル

ひょんなことから高円寺の北中商店街にある古本酒場コクテイルの休みの日にちょこちょこバルをやることに。去年決まったことである。去年はひょんなことから色々なことが決まり、そして決行した。今思えば全部酒が絡んでいる。

2月9日(月)斉藤バル(古本酒場コクテイルにて)
18:00open / 23:00close

音楽以外で唯一続いているのが料理である。音楽も料理も同じことだ。

2015年1月23日金曜日

追憶、アメリカ7

現地で手に入れるつもりだったので、ギターは持って行かなかった。ギター大国アメリカ、ギターがないはずはない。だが、LAは不発(サンタモニカで見つけた唯一「おやっ」と思ったイタリア製のビザールっぽいギターは、弦高が多摩湖から見た富士山より高い)、NYCに期待するも、本命のウィリアムズバーグの店には、タイミングが合わなかったのか、まったくそそらないフェンダーのちょっと古いやつがちらほら。その店に向かう途中、フェンダーの純正ハードケースをゴミ捨て場で発見、中にパステルカラーのストラトが入ってることを期待し飛びかかるも、カラ。結局滞在中のライブは借りもののレスポールスペシャル(本当に素晴らしいギターでした)で凌ぐ。その借りもののギターのノブが、借りている間にグリグリまわしていると、ノブの真ん中ら辺から横に二つに割れてしまった。借りている手前、取り替えて返そうと思い、ライブ最終日のリハーサル前に楽器屋に立ち寄り、ノブが欲しいと告げると、店員の若者は店の奥に消えた。待っている間、店内の楽器を物色すると、そこには出発前に想像していたギターが溢れているではないか。絶妙にチープ、500ドル以下がほとんど。何色と表現していいか分からないような、はっきり言って変な色のかっこいいギターたちが静かに並んでいた。

追憶、アメリカ6

コーヒーは飲むという行為で完結している。美味いかどうかはだいぶ後の話だ。美味くなくても面白いし、その逆も然り。コーヒーが身近なのは助かる。助かった。

2015年1月17日土曜日

追憶、アメリカ5

JFK空港からNYに住む今から始めて会う友人(今から改めて友人になる友人)の家の最寄り駅に地下鉄で向かう。到着するも友人のアパートには辿り着けず、wi-fiを探し地下鉄の駅付近を徘徊する。駅を上がったところに待合室らしき場所を発見、電波もある。そこから友人に居場所を伝える。待てども来ない。数十分経ったときに初めて自分を疑った。外に出て建物の先端をを見上げると、どうやら病院らしい。仕切り直して友人に連絡、目印を伝えて外に出ると楽器を肩に抱えた人影が二つ、夜は始まったばかり。

追憶、アメリカ4

紆余曲折あってようやく辿り着いたダウンタウン、よく分からないが異様に落ち着く。電波を見つけて友人に連絡。空だけはそんなに変わらんだろうと見上げてみる。霞んでいる。僕の眼が汚れていたのだろうか、それとも寝不足のせいか。これから何をするかぼんやり考えながらコーヒーを、唯一現実的なコーヒーを飲みつつ、見慣れない雑踏を眺める。

追憶、アメリカ3

二度目のグリーンラインの駅、名は忘れたが、ホームは地上6メートルほどにあり、広いエレベーターを使って上がる。二度目は油断している。ただそれを実感していることで警戒している。一度目の恐怖は自分が欲していたものなのだろう。刺激を求めていた。刺激は自分次第だ。

追憶、アメリカ2

友人Kは、公園に差し掛かろうとしたとき「公園が好きなんだ」とひとりごちた。それは自然と出た言葉らしく、会話特有の重量感(対人故気を使うことで起こる)はなく、自然と出た言葉に感じた。公園をうろつきベンチに座り日は暮れかけなんでもない木々を見つめ刹那的に喋る会話に質感はない。

追憶、アメリカ

空港の売店で買ったピスタチオを空港のロビーでひたすら食べる。殻を割り、殻の半分に残った種子を口で掬い上げる。たまに吹っ飛ぶ。拾って食べる。殻の残骸が袋の中でしゃらしゃら鳴っている。飛行機はまだしばらく来ない。
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