2015年12月31日木曜日
2015年12月19日土曜日
2015年12月8日火曜日
考える日11
話すことで確認し、新たな答えを見つける。或る答えはまた問題になり、僕は退屈しない。今日を考える日にしよう。明日も考える日かもしれない。そこにある隙間は考える余白、余白は視覚的なものかもしれないし、観念的なものかもしれない。それも考える要素。そこにある隙間は君のための余白。考える日は始まりで、時間を経ることで考える行為は必要無くなるかもしれない、ということを考える日がある。僕は一人ではない。考えられることで君は輝いていられる。君は僕かもしれない。君が僕のこと言っているのかもしれない。考えることで君(僕)は輝いていられる。そう、僕(君)は一人ではないし、自分だけでは自分のことなんて分からない、と言うことを考える日。
2015年12月5日土曜日
考える日8
京都に移住するきっかけになった友人と半年ぶりの再会。半年はあっという間で全く懐かしい感じはない。友人の息子はすくすく育っていて僕の感覚を飛び越えて行く。これには半年という時間を感じる。
浄土寺は軽食みなみ、これが正しい呼び名か疑わしいが、そこは放っておこう。店の前で共演の谷内くんとシャラポア野口が喋っている。軽い挨拶をかわしてドアを開けると、東京で馴染み深い友人がカウンターでコーヒーを前に静かに座っている。ちょうど彼は京都に滞在していて、残念ながら演奏を待たず東京に帰ってしまうのだった(昨日東京某所で会った)。僕もコーヒーを頼み、彼が京都駅に発つまで談笑する。共通の友人を待ったが、遂に現れず時間切れ、彼は店を後にした。再会は果たされないと思いきや、彼が店を出た瞬間に到着。僕は敢えて立ち上がらず、その光景を見ていた。
2015年12月4日金曜日
考える日7
金沢は雨だった。初めて降り立った地、少しずつ塗り進めて行く。特に見どころには行かず、限られた時間で市街を歩く。途中、引っ掛かったカフェに吸い込まれる。素晴らしい驚き。
道の真ん中に何かを立てられる装置のある商店街を静かに進み、オヨヨ書店に到着。暫らくして共演のふくらはぎばたけ竹内氏が現れる。自前の古めかしく、特徴のあるオルガンと共に。新作CDは最後のパーツ、歌詞カードを手に入れ、この日遂に日の目を見る。
ライブは静かに始まり、静かに終わる。
終演後、機材の撤収時、猫が脱走、なんとも言えない、生きた心地のする時間(勝手に済みません)。打ち上げがてらオヨヨ書林さんに連れてってもらった赤提灯で燗酒とおでんを。素敵な時間をありがとう。
出張斉藤バルを終えて3
今回誘ってくれたテニスコーツのお二人には感謝したいところだが、ただ感謝しても面白がってくれないだろうな。BGMは植野さんの意向より、終始BOØWYでした。BOØWYは僕らの共通点です、といって巻き込もう。さやさんはいい迷惑だろうな。でも楽しんでくれるよ。Music Exists、本当だ。テニスコーツは本当のことを言ってもいい人たちだ。また遊んで下さい。
出張斉藤バルを終えて2
営業はというと、僕はのんびりしているから、非常に周りに迷惑をかける。
手伝いをしてくれた上にデザートまで用意してくれた友人と、淡々と前半をこなす。しかし、予想以上のオーダーに演奏直前に料理はほぼ底が見えた状態。ライブの半ばに料理を追加することを決意し、近くのスーパーに走る。
ライブはアンコールに突入。終演後に備え、段取りをイメージする。そしてライブは美しく終わりを迎え、ぽつぽつと料理の注文が入る。慣れない道具で慣れない料理をするのはなかなか骨が折れる。数人のお客さんをだいぶ待たせてしまい、申し訳なかった。ただ、料理には心を込めた。それが味覚を越えて心に届いていれば嬉しい。
手伝いをしてくれた上にデザートまで用意してくれた友人と、淡々と前半をこなす。しかし、予想以上のオーダーに演奏直前に料理はほぼ底が見えた状態。ライブの半ばに料理を追加することを決意し、近くのスーパーに走る。
ライブはアンコールに突入。終演後に備え、段取りをイメージする。そしてライブは美しく終わりを迎え、ぽつぽつと料理の注文が入る。慣れない道具で慣れない料理をするのはなかなか骨が折れる。数人のお客さんをだいぶ待たせてしまい、申し訳なかった。ただ、料理には心を込めた。それが味覚を越えて心に届いていれば嬉しい。
出張斉藤バルを終えて1
物凄い疲れているはずなのに、とてつもなく元気だ。元気をもらったとでもいうのか、そんなことがあるのか、あるかもしれない、テニスコーツだから。Music Exists disc1を聴きながらキーを打つ。
キチムには、友人が働いていた頃に何度か顔を出したが、タイミングを外し、お店に対し妙によそよそしく振舞っていた自分を回想する。今回の話があったとき、キチムという存在はまっさらで、新しい気持ちで受け入れられたのが記憶に新しい。そして、この場所が身近になったのは単純に本当に嬉しい。
キチムには、友人が働いていた頃に何度か顔を出したが、タイミングを外し、お店に対し妙によそよそしく振舞っていた自分を回想する。今回の話があったとき、キチムという存在はまっさらで、新しい気持ちで受け入れられたのが記憶に新しい。そして、この場所が身近になったのは単純に本当に嬉しい。
2015年11月28日土曜日
2015年11月15日日曜日
考える日4
録音は初夏に済んでいた。その頃は、なんとなくCDでも出そうかなというくらいのぼんやりとした気持だった。実際出そうと決意したときには、その録音は既に色褪せていた。目的を持たずに録音した作品も悪くはないが、今の自分には合わなかったらしい。
夏の去り際、名古屋でのライブが決まった。それから少ししてCDを出すことを決め、流れで名古屋のライブをレコ発にしようということになった。そして立て続けに金沢、京都とライブが決まる。
録音も終わっているし、あとはパッケージをどうするかだけだと思っていたのだが、いざ久々に過去の録音を聴いてみると心に響かない。この時点でレコ発の一月前だった。
2015年11月13日金曜日
2015年11月5日木曜日
発、そのもの2
終演後、植野さんを囲んで談笑、輪の中がミュージシャンばかりだったことから、植野さんが自己紹介がてら二曲ずつ披露しようと強引な提案、ギターに一番近かった僕から第三幕が上がる。最近の得意な曲と少し昔の僕らしい曲を。続いて第二幕でさやさんと共に客席で歌っていた方、蓋を開ければ池間由布子さんだった。カバーを一曲、オリジナル一曲を披露。静かな中に鋭さを持った言葉が独特の声色に乗ってぼろぼろとこぼれる。続いて紹介されたのが神田さやかさん。幽かな歌声だが言葉がすっと近づいてくる。すっと近づいたかと思うと目の前で落ちたり、消えたり。そして、テニスコーツさやさん。ニコニコしながら発せられる音楽が、ずっしりとステージにもなった小上がりに積み重ねられていく。本編の影響からか、音と言葉、心が物質的にあたり一面に散らかる。美しい邂逅、その他にも嬉しい出会いが。
発、そのもの1
不思議な緊張感に包まれた第一ステージ。新曲を中心に構成されている事が事前に公表されていたためか、息をのむような演者と観客のやり取り。もはや「エロ本」という言葉でさえ、深読みの対象になっていた。厳格な様相で第一幕は下りる。
15分程度の間を持って第二ステージ、いい具合に解れた雰囲気(演者本人がビール小瓶を立て続けに2本)で走り出す。序盤で客席のテニスコーツのさやさんがゲストとして呼ばれるが、本人の意向から客席から離れずに共演が始まる。その距離は3メートルほど。二人の声が物質のようにコクテイル書房の空間を走り回っていた。その後、さやさんの近くに座っていた馴染みのお客さんも加わり、既に植野さんの遊び場と化していた。
2015年10月27日火曜日
2015年10月22日木曜日
ja maa sobiの山遊び
トロンボーン担当のピッケル(愛称)の遭難(仕事の都合で不参加)により、今回は助っ人トロンボニストが参戦。紅一点、歌入り合奏曲「はじめに」、新曲のアカペラ曲「おわりに」、そして朗読組曲「山遊び」の朗読に新たな色どり、周波数を与えてくれた。
デビューライブに比べると場慣れした様子のメンバー、全体的に安定感が漂うが、課題は果てしなくあるので、大した問題ではない。無論、僕にも該当する。同じミスを繰り返すという可愛らしい一面を露呈してしまった。
もう一つの新曲、自由合奏曲「あいだに」は、それぞれの個性、そして気遣いが垣間見えて良かった。
次回は、新曲の歌入り合奏曲「とりこ」を引っ提げて挑みます。師走の助走のあたりに演奏会を考えています。
それから、テキスト担当のリコーダー担当者(愛称は未だない)が、新作の朗読曲を提案してくれました。テーマの作曲もお願いしようかな。
先日、今回の作曲者のトランペット担当者(愛称はまだないが、ザイールがいいと思っている。ザギールという響きから)の「とりこ」の作曲に立ち会ったところ、インド音楽を持ち出してきたので、ja maa sobiに新たなエスニシティが加わることでしょう。あえてインド楽器を持ち出さないのも乙かと。
デビューライブに比べると場慣れした様子のメンバー、全体的に安定感が漂うが、課題は果てしなくあるので、大した問題ではない。無論、僕にも該当する。同じミスを繰り返すという可愛らしい一面を露呈してしまった。
もう一つの新曲、自由合奏曲「あいだに」は、それぞれの個性、そして気遣いが垣間見えて良かった。
次回は、新曲の歌入り合奏曲「とりこ」を引っ提げて挑みます。師走の助走のあたりに演奏会を考えています。
それから、テキスト担当のリコーダー担当者(愛称は未だない)が、新作の朗読曲を提案してくれました。テーマの作曲もお願いしようかな。
先日、今回の作曲者のトランペット担当者(愛称はまだないが、ザイールがいいと思っている。ザギールという響きから)の「とりこ」の作曲に立ち会ったところ、インド音楽を持ち出してきたので、ja maa sobiに新たなエスニシティが加わることでしょう。あえてインド楽器を持ち出さないのも乙かと。
2015年10月2日金曜日
2015年9月23日水曜日
2015年9月17日木曜日
バル23、24日目が終わる
店先のウッドデッキを作っている。外でも飲めるようにするためだ。久々にフィリピン料理のアドボーを復活させるが、初日はメニューに書き忘れ、二日目は売れずそのまま残る。他はあまり変化なし。天気が不安定なせいか野菜が高い。友人がふらっと来てくれるのが本当に嬉しい。
次回は28、29日です。29日はイベント「発 vol.1」、三村京子さんのワンマンライブです。とにかくたくさんの人に観てもらいたい人のひとり。投げ銭なのでお気軽に、なんてのは全くなく、本気で観て自分で金額を決めて欲しいのです。
次回は28、29日です。29日はイベント「発 vol.1」、三村京子さんのワンマンライブです。とにかくたくさんの人に観てもらいたい人のひとり。投げ銭なのでお気軽に、なんてのは全くなく、本気で観て自分で金額を決めて欲しいのです。
2015年9月9日水曜日
追憶アメリカ9
ニューヨークの、まだ見ぬ友人にお土産をと思い、友人宅の最寄駅付近の小さな商店でビールを半ダース、会計時に口髭に白髪が交じる初老のマスターが商品をビニール袋に入れようとしたので、持ち運べる箱に入っているし近くなのでこのままでいいとジェスチャーを交え伝えると、嘘だろ、止めとけというような大袈裟な動きを目を見開きながらするので、本当に要らないからと、強引に裸のビールを持って店を出た。紆余曲折あって(追憶アメリカ5参照)、友人たちと落ち合うのだが、ニューヨーク在住の友人が、「それ、駄目ですよ」とビールに目線を落として言うのだ。聞けば、ニューヨークではアルコールは屋内で楽しむもので、むき出しで持っていると白い目で見られるらしい。路上で飲むなどもってのほか。なんの因果か無意識にワイルドサイドを歩いてしまった。
後日、その友人と東京で再会、路上での酒を静かに楽しんでいた。
2015年9月2日水曜日
2015年8月29日土曜日
Bill's Brothers
初めて手にしたギターはBill's Brothersという怪しいメーカーのレスポールカスタムで、ある日なにかの拍子に倒れ、ヘッドの付け根がへし折れたので、ネジで留めて使っていたが、数日弾いていると、弦圧に耐え切れず「メリッ」という音を立ててネジが抜けるので、友人に数千円で売った。
2015年8月28日金曜日
バル20、21日目が終わる
急に涼しくなる。テキーラを始める。合わせてメキシコ料理も取り入れる。先日食べたベトナム料理のチャーハンみたいなやつが美味しかったので、それを土台にした焼きそばをメニューに組み込む。思ったことは全部やろう。
次回は臨時営業、9月1日火曜日です。野ばらの代打で。思いつきを形にします。
2015年8月19日水曜日
2015年8月13日木曜日
2015年8月10日月曜日
EIMOSEZ RECORDS
完全に廃墟と化していたホームページに見切りをつけ、soundcloudを新たな住処としました。
EIMOSEZ RECORDSは、京都時代に活動していた細胞文学の録音を発表するために発足し、僕のソロや、当時よく共演していた青いプランタンの録音もリリースした。
長いことほったらかしていたが、最近の気持ちの勢いも手伝って、表に出すことにした。といっても、過去の録音を聴いてもらうだけで、それ以上のことはないだろう。
レーベル以外の懐かしい録音もそのうち発表するかも。
2015年7月30日木曜日
最近の演奏の記録2
ブッキングのライブに「うたになって」と名を付ける。名を付けることで輪郭が少しはっきりする。錯覚かもしれないが、それでもいい。
橋本悠さんは、ライブの数日前に友人を介して知り合った。物事に真剣な印象。目線が時間と共に変わっていくのが分かる。もっと話すことがある。
三村京子さんは、10年くらい前に数回共演し、それ以来、心に引っ掛かり続けている。大体そういう時は演奏に嫉妬、もしくは感動した時だ。
当日の共演の前に、レコーディングに招かれた。詳しいことはよく分からないが、単純に演奏したいという気持ちで返事をした。音楽に乗るというよりは、気持ちに乗リたいと思い、挑んだ。よく覚えていない。
演奏は時間と共に流れ、終わる。僕はライブが好きで、大変だけど好きなので、すり減らしつつも向かう。良かったんだ、と思わされる一日だった。
橋本悠さんは、ライブの数日前に友人を介して知り合った。物事に真剣な印象。目線が時間と共に変わっていくのが分かる。もっと話すことがある。
三村京子さんは、10年くらい前に数回共演し、それ以来、心に引っ掛かり続けている。大体そういう時は演奏に嫉妬、もしくは感動した時だ。
当日の共演の前に、レコーディングに招かれた。詳しいことはよく分からないが、単純に演奏したいという気持ちで返事をした。音楽に乗るというよりは、気持ちに乗リたいと思い、挑んだ。よく覚えていない。
演奏は時間と共に流れ、終わる。僕はライブが好きで、大変だけど好きなので、すり減らしつつも向かう。良かったんだ、と思わされる一日だった。
最近の演奏の記録
ja maa sobiデビュー。全曲オリジナル、20分ほどの演奏だった。みな緊張している感じは見受けられず。事後談では、震えていたという声多数。
haraさんは、メロディーも詩も余韻を持っている。同時にその良さをしっかり認識するのは難儀。
PALESSは悩んでいる。悩んでいることが表現に出ているのは本気なのだろう。新たな道を模索している。
京都へ。ぷらっとこだまからの一歩目は、フィリピンの一歩目に似ていた。元田中に行く前に丸太町駅から神宮丸太町駅まで歩く。黄ばんだ景色が広がるのはノスタルジーのせいだ。細胞文学を結成した公園を偶然横切る。
今井飛鳥さんと森さんは、鋭いようでポップな雰囲気を覗かせつつ、やはりどこか鋭い。いくつかの時間が映画だった。
Tumulus宇津さん、洒落が音に出ている。時折悲しいような音色を響かせていた。音楽的にではなく。
店主にーやんは態度に出ている。また行こう、ZANPANO。
yugue、そもそもの始まり。この度京都へ導いてくれたのは店主山根さん。一緒にやるならうつせみやね、なんて事でこの日の共演はうつせみ。結局真面目なバンドで、真面目に面白いことを考えている。この日ははじまりの終わりのような印象。また新たな気持ちで次も共演したい。
初めてゆすらごに行った。結局切り離せないのが黒田。これは説明できないが、人生とは科学ではないのだろう。ビール飲んでカレー食べて話してサヨナラ。
その後、近所のu空間へ。I氏と煙草は切っても切れない。これは世の中とも繋がっている。この日は、出張喫茶をやっていて、その店主、お客さんと少し話す。音楽の話になり、「どんな音楽を?」と流れたので、「少し弾きます」と返し、ギター独奏曲「舟を漕ぐ」と、歌とギターの「祈り」を演奏した。明治の洋館(多分)の木造家屋に響く木造楽器の歌は、始まりの暑さに溶け込む。コーヒーはアイス、そこから二条駅までの道のりは新たな京都との交わりを考えるには充分な距離だった。
haraさんは、メロディーも詩も余韻を持っている。同時にその良さをしっかり認識するのは難儀。
PALESSは悩んでいる。悩んでいることが表現に出ているのは本気なのだろう。新たな道を模索している。
京都へ。ぷらっとこだまからの一歩目は、フィリピンの一歩目に似ていた。元田中に行く前に丸太町駅から神宮丸太町駅まで歩く。黄ばんだ景色が広がるのはノスタルジーのせいだ。細胞文学を結成した公園を偶然横切る。
今井飛鳥さんと森さんは、鋭いようでポップな雰囲気を覗かせつつ、やはりどこか鋭い。いくつかの時間が映画だった。
Tumulus宇津さん、洒落が音に出ている。時折悲しいような音色を響かせていた。音楽的にではなく。
店主にーやんは態度に出ている。また行こう、ZANPANO。
yugue、そもそもの始まり。この度京都へ導いてくれたのは店主山根さん。一緒にやるならうつせみやね、なんて事でこの日の共演はうつせみ。結局真面目なバンドで、真面目に面白いことを考えている。この日ははじまりの終わりのような印象。また新たな気持ちで次も共演したい。
初めてゆすらごに行った。結局切り離せないのが黒田。これは説明できないが、人生とは科学ではないのだろう。ビール飲んでカレー食べて話してサヨナラ。
その後、近所のu空間へ。I氏と煙草は切っても切れない。これは世の中とも繋がっている。この日は、出張喫茶をやっていて、その店主、お客さんと少し話す。音楽の話になり、「どんな音楽を?」と流れたので、「少し弾きます」と返し、ギター独奏曲「舟を漕ぐ」と、歌とギターの「祈り」を演奏した。明治の洋館(多分)の木造家屋に響く木造楽器の歌は、始まりの暑さに溶け込む。コーヒーはアイス、そこから二条駅までの道のりは新たな京都との交わりを考えるには充分な距離だった。
バル16、17日目が終わる
今年は夏と向かい合っている気がする。電車内のクーラーが痛い。メニューを変えた。仕込みを減らし、オーダーが通ってから作る料理を増やす。鍋を振るのは命を削るようで実感があって良い。
次回の斉藤バルは、8/10、11です。夏も下山の様相、まだ暑いが、夏はその頃には既に後ろ姿です。思いつきでやります。
次回の斉藤バルは、8/10、11です。夏も下山の様相、まだ暑いが、夏はその頃には既に後ろ姿です。思いつきでやります。
2015年7月19日日曜日
バル14、15日目が終わる
暑い。夏になると夏が暑いことを思い出す。本当にこれから冬が来るのか、と思う。繰り返す。
料理を見直したい。ただ単にスペインバルをやるのにも飽きてきたので、流動的に思いついたものを形にしていこう。
次回の斉藤バルは7月27、28日、きっと更に暑いので涼しくなるようなものを。
2015年6月25日木曜日
バル12、13日目が終わる
あーでもないこーでもないと議論しているのを、カウンターを隔てて聞くのは楽しい。二日目、お通しをなくした。考えてみれば、スペインのバルでお通しが出てきたところは確か唯一一軒。
斉藤バルは、ひとつの作品である。結局のところ、和食もスペイン料理も同じで、作る人の一部を食べているだけなのだ。
次回は、京都から帰ってすぐの営業。あまり深く考えず、行き当たりばったりでやります、やりたいことを。
次回は、京都から帰ってすぐの営業。あまり深く考えず、行き当たりばったりでやります、やりたいことを。
2015年6月11日木曜日
バル10、11日目が終わる
次の段階に来た気がする。僕は、音楽と共に生きてきたので、比較的音楽に強い。音楽を結び付けてなにかやりたい。安易かもしれないが、投げ銭ライブみたいなものを。しかし、内容は、ただ演者を呼んで演奏してもらうのではなく、演者と来場者が考えるライブ、消費するだけではなく考えることで新しい体験をする、そんなものにしたい。基本はワンマンで、曲や詩について話してもらったり、質問が飛び交ったり。
今回は、友人が淡路島産の新玉ねぎを提供してくれた。玉ねぎ嫌いを唸らせる逸品。人が関わるのは面白い。
今回は、友人が淡路島産の新玉ねぎを提供してくれた。玉ねぎ嫌いを唸らせる逸品。人が関わるのは面白い。
次回は22、23日。23日にライブしたいという方いませんか?ワインはなるべくスペイン、料理は、迫力を増したいと思います。
2015年6月6日土曜日
2015年6月3日水曜日
ja maa sobi
先日記事にしたバンドの名前が決まった。その名もja maa sobi、山遊び。
ja maa sobiは、エストニア語で「そして、適した土地」といったような意味。候補のひとつだったバンド名「山遊び」をメンバーの一人が外国語に結び付けてja maa sobiとなり、山遊びに帰ってきたときにはバンド名に相応しい奥行きを備えていた。
ヤマーソビ、山遊び、ja maa sobi。バンド名が決まると、バンドは輪郭を見せる。まだぼやけた部分はあるが、僕たちは今やja maa sobiと名乗ることが出来るのだ。
ja maa sobiは、エストニア語で「そして、適した土地」といったような意味。候補のひとつだったバンド名「山遊び」をメンバーの一人が外国語に結び付けてja maa sobiとなり、山遊びに帰ってきたときにはバンド名に相応しい奥行きを備えていた。
ヤマーソビ、山遊び、ja maa sobi。バンド名が決まると、バンドは輪郭を見せる。まだぼやけた部分はあるが、僕たちは今やja maa sobiと名乗ることが出来るのだ。
2015年6月1日月曜日
バル8、9日目が終わる
暑かった。スペインで入ったバルを思い出す。休憩のたびにバルに吸い込まれ、ビールとタパス一品を注文、数分で店を出る。なので斉藤バルはそんなイメージでやっている。でも、ゆっくりして行ってもいいのです。
たいして忙しくもなく、ゆっくり時間は流れる。スペインの作曲家モンポウのピアノ曲がバルの空間に漂っていた。
次回は、6/7の日曜から3日間。ワインはスペインを中心に、タパスは定番を少しアレンジしたもの。音楽は、ピアノのなにか。コクテイル書房の空間は、ピアノ曲がなんだか合う。
並んだ本が鍵盤みたいだ。
2015年5月20日水曜日
バンドはじめました
友人がアップライトベースを購入したのがきっかけだったか。
その半年くらい前、その友人と飲み歩いていた数軒目、店は満席だった。僕らの後ろに同じ年頃の男が同じく断られる。少し悩んだ末、数日前に僕が迷惑をかけた店に向かい、階段を上りつつ見上げればさっきの男。これも縁だと、共に飲み始める。
それから半年後、その彼を交えてバンドをしようという運びになった。楽器ができるかは問題ではない。コンセプトは「無理やり共感覚」。或るテーマから受けた別の印象によってフレーズを導き出すというもの。
その話を別の友人に話すと、トランペットで参加しますと言う。断る理由もないし、色々な方向から人が集まってひとつのことを達成するのは緊張感があっていい。そして共通の友人の一人を勝手にメンバーにする。
そして集まった5人。メンバーの一人が経営するカフェで顔合わせ。そこで担当楽器を決める。触ったこともない楽器が並び、それぞれが思い思いに音を出し、気に入った楽器を選んだ。楽器演奏をほとんど(全く?)してこなかった一人が、担当楽器が決まったとき、「ところで、この楽器の名前はなんですか?」と聞いたとき、このバンドのための初めのフレーズの形が僕のまぶたの裏に焼き付いた。
2015年5月13日水曜日
2015年5月3日日曜日
大吟醸波動スピーカー
明鏡止水の大吟醸斗瓶囲の桐箱で作った波動スピーカーが一先ず完成した。振動によるノイズの問題のみ残っている。
なぜ作ったかと言うと、斉藤バルでお世話になっているコクテイル書房の店主が、「二階にスピーカーを置こうと思う、ひょうたんスピーカーを吊るすのもいいな、一階の配線もすっきりさせたい、よろしくお願いします。」ということで、一役買うことに。
ひょうたんスピーカーを調べると、結構高い。ならば作ろうとひょうたんを購入できる店を検索するも、これだというのがない。煮詰まったので、なにかと色々詳しい小台はBRÜCKEの店主に相談に行く。
「波動スピーカーなんてどうですか?」と、スコッチをちびちびやる僕に彼は助言をくれた。聞けば、筒の両端にスピーカーが装着されたもののようで、帰ってから早速構造を調べる。なるべくお金をかけずに作る方法はないかと、ポクポクした結果、チーンと閃いたのが日本酒の桐箱だった。
翌日、早速近所の馴染みの酒屋さんに桐箱を譲って欲しいと頼むと、快く応じてくれた。「なにに使うの?」と聞くので、「スピーカーを作ります。」とざっくり答えた。怪訝な表情をしていたので、近く持参するつもりだ。
なぜ作ったかと言うと、斉藤バルでお世話になっているコクテイル書房の店主が、「二階にスピーカーを置こうと思う、ひょうたんスピーカーを吊るすのもいいな、一階の配線もすっきりさせたい、よろしくお願いします。」ということで、一役買うことに。
ひょうたんスピーカーを調べると、結構高い。ならば作ろうとひょうたんを購入できる店を検索するも、これだというのがない。煮詰まったので、なにかと色々詳しい小台はBRÜCKEの店主に相談に行く。
「波動スピーカーなんてどうですか?」と、スコッチをちびちびやる僕に彼は助言をくれた。聞けば、筒の両端にスピーカーが装着されたもののようで、帰ってから早速構造を調べる。なるべくお金をかけずに作る方法はないかと、ポクポクした結果、チーンと閃いたのが日本酒の桐箱だった。
翌日、早速近所の馴染みの酒屋さんに桐箱を譲って欲しいと頼むと、快く応じてくれた。「なにに使うの?」と聞くので、「スピーカーを作ります。」とざっくり答えた。怪訝な表情をしていたので、近く持参するつもりだ。
2015年4月28日火曜日
2015年4月26日日曜日
ブルーハーツのつづき
懐かしさを感じさせない音楽、THE BLUE HEARTS、それからThe Velvet Underground。それ以外の、特にロックは、振り返り目を凝らしてやっと見えるくらいのものばかりだ。これは人それぞれで、どれだけ感情移入しているかに左右されるのではないだろうか。さっき「TOO MUCH PAIN」を口ずさんでいた。歌詞は無茶苦茶だが。僕の音楽も、適当な、その時の言葉で歌われてもいいと思った。
2015年4月19日日曜日
TOO MUCH PAIN
ブルーハーツを聴いている。ずっと昔から。ギターで初めて弾いた曲は「電光石火」で、初めての壁は「青空」だった。イントロの譜割りを曖昧に捉えていて、異様な変拍子になっていた記憶がある。初めてライブで披露した曲は「終わらない歌」、それから「ラブレター」だった。最も引っ掛かって離れない曲は「TOO MUCH PAIN」だ。でも歌詞はほとんど頭に入っていない。
2015年4月15日水曜日
2015年4月14日火曜日
2015年4月9日木曜日
2015年4月6日月曜日
いまになって
久々に実家に帰ると、父がバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を出してきて、第5番のページを開いた。特に変わったところはなく、第5番といえば一番音の高いA弦を1音下のGに下げるところが特徴的なので、そこを指摘した。すると父は、「それが問題の部分なのだが、音符をそのまま弾くと曲にならない。弦は1音下がっているが記譜は押さえる部分の音程になっている。」と、楽譜を追いながら説明した。要するに、移調楽器のように、例えばBフラットのクラリネットでドの音を出したいときはレで記譜するのと同じ感覚だ。低い方から3弦は実音なのに4弦目のみ記譜音というのは混乱しそうなものだが。自分でも別の版の譜面を持っていたのを思い出し、今確認のために開いたら、しっかり英語で説明書きがされていた。ちなみに、ギターはよく低い方のE弦を1音下のDに下げるが、記譜は実音だ。父もギターを弾くので余計に引っ掛かったのだろう。
そういえば、僕が京都時代に活動していた細胞文学の相方黒田も昔そんなことを言っていた。ただ、その頃の僕は移調楽器の存在を知らなかったので、全く理解していなかった。あの時このことを言っていたのか。
2015年4月1日水曜日
2015年3月26日木曜日
2015年3月22日日曜日
2015年3月18日水曜日
2015年3月13日金曜日
2015年3月6日金曜日
2015年2月25日水曜日
2015年2月20日金曜日
2015年2月19日木曜日
2015年2月12日木曜日
2015年2月8日日曜日
2015年2月4日水曜日
2015年1月23日金曜日
追憶、アメリカ7
現地で手に入れるつもりだったので、ギターは持って行かなかった。ギター大国アメリカ、ギターがないはずはない。だが、LAは不発(サンタモニカで見つけた唯一「おやっ」と思ったイタリア製のビザールっぽいギターは、弦高が多摩湖から見た富士山より高い)、NYCに期待するも、本命のウィリアムズバーグの店には、タイミングが合わなかったのか、まったくそそらないフェンダーのちょっと古いやつがちらほら。その店に向かう途中、フェンダーの純正ハードケースをゴミ捨て場で発見、中にパステルカラーのストラトが入ってることを期待し飛びかかるも、カラ。結局滞在中のライブは借りもののレスポールスペシャル(本当に素晴らしいギターでした)で凌ぐ。その借りもののギターのノブが、借りている間にグリグリまわしていると、ノブの真ん中ら辺から横に二つに割れてしまった。借りている手前、取り替えて返そうと思い、ライブ最終日のリハーサル前に楽器屋に立ち寄り、ノブが欲しいと告げると、店員の若者は店の奥に消えた。待っている間、店内の楽器を物色すると、そこには出発前に想像していたギターが溢れているではないか。絶妙にチープ、500ドル以下がほとんど。何色と表現していいか分からないような、はっきり言って変な色のかっこいいギターたちが静かに並んでいた。
2015年1月17日土曜日
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