2014年5月29日木曜日

同じ阿房なら

音頭とは、リズムのことかと思っていたがそうではなく、俗には主唱者に対する掛け合いの関係が音頭と呼ばれるらしい。旧馬橋地区に伝わる(?)馬橋音頭の吹奏楽編曲をした。夏に北中通り商栄会主催の「馬橋盆踊り」で、杉並学院の演奏で披露する予定だ。アレンジは世間で親しまれている音頭とは若干異なるが、音頭は音頭、踊らないのは損である。

2014年5月27日火曜日

五百円玉

少年時代、僕にとって一番価値のある貨幣は五百円玉だった。重みがあり、大きく、貨幣の王様だった。紙幣は金属の硬貨の重厚さに比べて物質的に劣り、紙っ切れという印象が強かった。お年玉が硬貨から紙幣に変わったときにがっかりしたのを覚えている。だから甥っ子姪っ子には五百円玉でお年玉をあげる。しかし彼らはお札の方が強いことを知っている。

2014年5月25日日曜日

締めねば閉まらん

近所の図書館は、閉館15分前になるとバッハのブランデンブルク協奏曲3番の第1楽章が流れ出す。閉館という雰囲気が出ないのか、音楽が鳴り始めても来館者はだらだら本を物色し続ける。

2014年5月17日土曜日

ヴィオレータ・パラを聴きながら

パラグアイの作曲家で演奏家でもあったバリオスの楽譜のセットを格安で買った。前の持ち主の痕跡が残っている。大事にしていたようでとても綺麗だ。曲によっては書き込みがある。きっと演奏会で発表したのだろう。やや過剰な解釈、でもその人と会話しているようで楽しい。前の持ち主は亡くなっているのではないだろうか。存命中なら手放さないだろう。1977年3月20日購入とのメモがある。

2014年5月14日水曜日

視点

全てを音楽に結びつけて考えたり行動していると、音楽と呼ばれる小さい枠に自分を閉じ込めていることに気づかない。

2014年5月13日火曜日

春の音楽祭が終わった、あとに

問題の音楽は異物でしかなかった、が、異物なので仕方ない。否定されても肯定されても、作品は静かだった。

春の音楽祭が終わって

イベント自体が問題なかったということが安心かというと、そうでもない。あんなに荒れた日は今までになかった。過ぎ去った日は思い出、しかし、苦悩はあの日に置き去りにするべきではないと思う。何をするべきか。何がされるべきか。

2014年5月2日金曜日

春の北中音楽祭のこと2

大勢でひとつの楽曲を演奏するのは大変なことだ。それぞれの気分が複雑に絡み合い、同調し、時に乱れ、音楽は姿を変えながら奏でられる。楽曲自体より個人々々が発する音自体に心を奪われ、気が付けば人間を聴いているのだった。
吹奏楽部の生徒さんは40名くらい、聴くのが忙しい。
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